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見栄よさよなら|「稼げない私には、なんの価値もない」を手放す話

2021年の最後にわたしが書こうと心に決めたのは
わたしが人生長ーいこと持ってきた「見栄」について。

これを公の場で晒すことが
相当、恐ろしいくらい、勇気の必要なことで
でも来年には絶対持ち越したくないことで
そして
これを手放して、たくさんの愛の中で生きていきたい
そう思えたから、書くことにしました。

わたしは「稼ぐことができない自分は、恥ずかしい存在だ」と
ずっとずっとずーっと思ってきました。

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小4から高2まではタイで育ち
小中は日本人学校、高校はインターに行かせてもらって
大学も集中治療室と呼ばれることも多いICUへ。

学生時代は何かやる度にリーダーになることが多かったり
何かしら「できる人」の立場にさせられることが多々。

2012年に大学を卒業して、今では有名な某人材会社に就職。
環境には本当に本当に恵まれていて
穏やかで優しい、そしていい意味で新人扱いをしてくれない
課長の元で教育していただいて
課された目標はほぼ達成。
美容の道に進むと言い張って会社を辞めるときも
たくさんの人に迷惑をかけたけれど
わたしが美容でどんなビジョンを持って生きていくのかを説明して
たくさんの人が一緒に未来を見てくれた。
友達も、会社の人たちも、家族も。

「絶対成功するから」とわたしは言い張って、

(当時はそんな確証なくてもそう言ってその時の環境から
早く先に進みたくて仕方なかっただけだったと今は思う)

身体を壊しながら、毎日朝から夜中まで
メイクスクールに通っては現場にいき、
空いてる間は学生時代にバイトしていたところに出戻りし終電まで働く。

自分でやると言ったからには絶対に諦めてはいけないし
結果が出るまでは絶対に弱音は吐いてはいけないと思っていると
案の定わたしは動けないくらい身体を壊す羽目に。

お母さんからも
「いい加減自分が弱いの認めなさい」と言われながらも
結局は自分自身が認めきれず、今のいままで強がってたように思う。

そして休むことを覚えながらも
自分の意思に反することができなさすぎたり
違和感を抱いたことを無視しながらただただ与えられる仕事をすることが
何よりも何よりも苦痛に感じるわたしは
会社に勤められないという、いい意味で背水の陣の覚悟で
『自分で』稼ぐしかない、そして
『自分で』稼ぎたいと考えるように。

確かに美容業界に入ってから約8年、
わたしは「自分で」稼いできた。
(自分でっていうのもおこがましいくらい
たくさんの人サポートしてもらっての話だけれども)

フリーランスとして、個人事業主として
自分で自分の事業を確立させてやってきた。

そして3年程前からは
夫も会社を辞め、カメラマンとして独立したこともあって
二人で一緒に仕事を作っていくことに。

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こうしてわたしは「自分で」生きていく人生を生きてきた。
(何回も言うけど、一人でやってきたわけでは決してない。
たくさんのたくさんの方の力があってここまで来れた。
それはしつこくても何回でも言う。)

だけどその裏にあったのは
「自分で」生きていきたい、「自分で」稼ぎたいの裏には
「自分で」生きていかねばならない、
「自分で」稼がないといけない
という気持ちだったんだなと思う。

何をやるにも
ある程度口では説明できる方だし
未来を見て成功するビジョンを話すこともできるからこそ

「絶対成功するから見てて」

そういってきて色んなことに飛び込んできたわたしは

「絶対に成功するまで辞められない」
「成功を見える形で証明しなければいけない」
そう思ってきた。

そしてそれを証明できるのが
わたしの「経済力」、「稼ぐ力」だと思ってきた。

だからこそ、
稼ぐ力のないわたしには誰も興味がないし
稼ぐことができないわたしは誰からもきっと見放されるし
稼ぐことができないわたしには一切の魅力もない
稼ぐことができないわたしは惨めで無様だ

ずーっとそんなことを当たり前のように前提にして
自分を苦しめてきたように思う。

フリーで仕事をしてきてから
稼ぎが0の時なんか
いくらでもあった。

貯金なんか基本ないし
口座残高が3桁になって引き落とすことができないことなんてざら。

稼げてる時だけ調子良く偏って稼げたりするもんだから
そういう時の自分に浸って
「自分は稼げる」「大丈夫」って
自分に呪文のように唱えてたようにさえ思う。

沖縄に移住してからも、
もちろん夫の力もあって、
ある程度の安心と一緒に戦う戦友が身近にいることで
前よりは見栄を張らずにこれたけれど

逆に夫も巻き込んで
「わたしたち、稼げます」感を一生懸命作ってきたように思う。

そして逆を取ると
「稼げない私たち、価値ないです」って
自分だけじゃなくて夫にまで
迷惑すぎるレッテルを貼ってきてしまったのかもしれない。

夫になんか特に、
写真家として、稼げる稼げないに関わらず
この人の映すものは何よりも意味があって
お金がついてこようが来まいが
わたしが夫の映す世界の、一番のファンであるからこそ
「稼ぐこと」が、イコールその人の価値じゃないことくらい
わたしが1番わかってることなはずなのに
それを一緒にして押し付けてしまってきた。

稼ぐこと、お金になる部分が
そのまま自分の価値になっていて

それ以外の自分の価値を
本当に本当に認めることなくここまできた。


でもいい加減、
その思い込みを捨てたい。

そしてそれを、勇気に変えたい。

そう思えるようになった。

今もまだ
稼げる自分の一面だけ外に出す
ということをしてしまってるかもしれない。

だけど
だからこそ

わたしは頑張って、尻を叩いて稼ぐ!を
もういい加減辞めたい。

色んな情報に惑わされて、
周りの稼げている人に基準を置いて、
「稼げることがすごいこと」と思い込んできたけれど
そもそも全然物欲もないし、お金をたくさんかけたい欲もないし
大好きな人と笑って食卓を囲んでられさえすればわたしは
心底幸せなのがわかっているからこそ
実は多分、そんなに本当は稼ぎたいわけでもないことを
そろそろ実感すべきなんだと思う。

大きく稼ぐことはわたしにとって幸せとイコールではない。

(お金を稼ぐことで楽しいこともたくさんあるから、
稼ぎたくないとかお金はいらないって言ってるわけではない。
稼ぐことで自分が求める幸せに近づけるのは知ってるから。)

だからこそ
「稼げる自分」を繕ったり
「稼いている自分」を表現するのは

もうやめようと思うんだ。

もう、見栄は張りたくない。

来年こそは、
自分の高すぎるプライドは捨てて
どんなことでもわたしにできることに
誠心誠意、想いを込めていきたいと思う。

もちろん、今させて頂いてるお仕事の延長線上にあることでもいいし
お仕事とは全然関係なくても
わたしだから何か力になれることがあるのであれば
謙虚な気持ちを忘れずに
力になれれば嬉しい。

何か手が足りなくて手伝って欲しいこととかでも
わたしが大好きで応援できる場所や人でさえあれば
心から力になりたいと思う。

(あ、苦手なこととか合わないって感じることは
プライドとかとは別に、できるだけ選ばないようにはするけどね)


稼げない自分だとしても
それがわたしの価値とは無関係だし
そんなわたしでさえ一生懸命生きてるよって
頑張らなくたって楽しく生きてるよって

わたしがそう胸を張って言えるようになることで

それが誰かの何かの希望になれば
それだけでわたしは嬉しいです。



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