ここには、弱くて優しい人がたくさん居る。
きっとこれが、わたしがnoteに居続けたい理由。
書くことが好きなのもあるけれど、これが1番大きいのかもしれない。
他のSNSも大体かじったし、がっつりフォロワー増やすぞって
#相互フォローとかで検索して好きでもない人をフォローしてみたり
とにかくいいねしまくってみたり、コメントしたくもない人の投稿に
「素敵な文章ですね!」とか1ミリも思ってなくてもコメントしてみたり
そんな、今となっては無駄だとわかる努力をしてみて、頑張ってみたりしたこともある。
そしてきっとnoteで同じことをする人も全く居ないわけじゃないし
そういう風に活用していくことも、もちろん可能なのはわかってるつもり。
そしてそういう風にSNSを活用する人がいるおかげで
メディアとして一定の価値を持ち続けることもできるんだろうし
ビジネスとかの活性にもなるのも理解している。
でも、そういう風に活用している人を見ると
なんだかものすごく心がざわつく。
(なんなら今書いてるだけでざわついてる。笑)
どのメディアでも同じ。
一般的にいうLP(ランディングページ)とか、HPとかも、
「こういうお悩みありますよね?」「解決したいですよね?」
「欲しいのこれですよね?」って
捲し立てるように次から次へと情報を注ぎ込んでくる。
考える余白が、ない。
でも、ここには、noteには、
そういう人が少ないようになんとなく感じている。
(わたしだけなのかな?)
いい意味で、noteは機能が少ない。色もつけられなければ、
文字の大きさにも大きく変化つけられるわけじゃない。
広告もガンガン出てくるわけじゃないし、
フォントも全然ない。
このシンプルさに救われてる人、結構いるんじゃないかな。
書く側にも、読む側にも「余白」がたくさんある。
そして、その余白が必要な人は
きっと“弱い“人たち、
そんな気がしている。
弱い人、つまりは繊細な人たちということにしよう。
その人たちは、過度に情報があると混乱してしまったり
一つの記事の裏の裏の意図にまで気付いてしまったり
五感がとても研ぎ澄まされている人。
そんな人たちは、他のメディアで辛くなってしまった結果、
noteにたどり着く、またはSNSを手放す。
そして、
その人らしい、その人にしかない繊細な感性で
文字を綴り、イラストを描き、表現し、
花開いていく。
そんな弱くて優しい世界が、ここには広がってるように感じる。
そういう弱くて優しい人たちの発信は
心にスッと入ってきて、心のわだかまりを取り除いてくれる。
自分でも受け入れられない自分の弱さに
そっと寄り添って癒してくれる。
ここでのそんな素敵な世界が、わたしはただただ心地よくて
大好きなんだな。
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