生きることって究極の暇つぶし
特にきっかけも何もありません。急に降りてきたんです、この言葉が。
生きることは、究極の暇つぶしだ!!!
ってね。
1月中旬から今まで、何の影響か知りませんけどものすごく気分が落ちていて、私の周りの人たちもなんだか同じような感覚でダウンしている人が多かったようで。
落ちては上がろうと頑張って失敗し、落ちては上がろうと頑張ってはまた落ち、を繰り返してたのですが、もう諦めたんです。落ちるなら落ち切ってしまえと。上がらなくていい。落ちるとこまで落ちろ、と。
(ちなみにstand.fmでも落ちる話したのでよかったら↓)
そいで落ちるとこまで落ちてたら、落ちてるくせにですよ、なんだか色んなことで求めてたような変化が起き始めたりなんだりしちゃって。私の中で、落ちてる間に色んな断捨離が行われたみたいで、なんだかいらない感情とかいらない仕事とかいらない関係とか、スルッと手放せる感覚になったり。そしてそんな時にですよ、この言葉が降りてきちゃったわけです。
約100年間の暇つぶしに地球に来てんだったわ私。
ってなんだかストンと落ちたというわけです。もうどうやって私がこの100年暇つぶそうが私の勝手なわけですよ。(そもそも100年生きれるかは分かりませんが)誰かの求める私になって誰かの暇つぶしに付き合ったって別にいいし、やりたい放題生きたい放題フリーダムに生きたって、別に私の勝手。
人は勝手に自由に暇つぶしをしとるんです。楽しんで過ごす人もいれば苦しんで過ごす人もいる、アップダウン激しめに過ごす人もいれば淡々と過ごしている人もいる。過ごし方を途中で変えるひともいれば変えないひともいるだろうし、過ごす人を変える人も変えない人もどちらもいる。ただただそれだけなわけです。
「落ちる時期には落ちときなさい」と今の私は1ヶ月前の私に言いたい。落ちてる時に上がろうとするということはつまり、今来ている流れに抗っている、逆らっているということ。人は心も身体もゆるめて、力を抜いて、ただただ流れに身を委ねた時、きっと1番まっすぐ行くべきところに行けるんだ。川の流れのように。そんな時に、やっぱりここにいたいとしがみ付いたり、流れに逆らって足元すくわれて怪我したりしていると、行くべきところにも居たいところにも居ることができなくなってしまう。
途中で流れに逆らうことをやめた私にプレゼントのように降りてきた言葉。讃えられたかのように変わってきた流れ。「流れに乗っときゃお前はうまく行く、ちゃんと連れてってやるからよ」そう言われたみたいだった。
私はこの100年の暇つぶしを、この大きな流れに身を委ねてみようと思った。