五月の憂鬱
SNSを開くと『母の日』『お母さんに感謝しよう』という文面が溢れていて戸惑い、そして疲れて少し落ち込んだりする。
世の中、素直に母親に感謝できる人間で溢れているのか?感謝できることが普通?
毒親育ちだと最近自覚し始め、僕には感謝する相手はいない。
ある一定の年齢までは、やれ誕生日、やれ母の日とプレゼントしてきた。プレゼントをあげたりしてもいつも笑顔がなくてブスッと不満があるような顔の母。物によっては母がそれを使っているところを一度も見なかったこともたくさんある。
ふと思い返した『僕は何歳の時にもらったプレゼントが最後だったんだろう』思い出せない。クリスマスプレゼントなら、中学くらいまではもらっていた。リクエストした物は貰えなくてステーショナリーセットでも、裕福ではなかったし子供ながらに納得していた。でもそれは父が買ってきたものだ。
「おめでとう」とか、最後に言われたのはいつだろう。
今はアオイと二人で母の日の用意を密かにしている。ハルは子育てにはとても一生懸命なので感謝をすることに違和感はない。
ハルは母親として責任を感じ、受け入れて『子供のために頑張ろう』とポリシーを持ち実行している。そのくせ「子供は自由に生きたらいい」「子供は所有物ではない」「子供から感謝されるために育ててるのではない」とサッパリした部分もあるのが驚く。
自分もハルの子供だったら良かったなと思うことがある。そうなるとアオイの存在とかどうなる?妄想なのでそもそも無理なのだけど。
無いものねだり、なのか。
毒親育ちゆえに毒親になりたくない僕もいる。二の轍は踏みたくない。踏みたくなくてもがいている。これからも、僕は発展し続けたい。アオイを苦しめないために。
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