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好きな歌に好きを言いたい 21/09/30


ギロチンがギロチンの子を産む夢のなかでわたしは助産婦だった
 大森静佳『ムッシュ・ド・パリ』


 短歌研究2021.8月号 水原紫苑責任編集「女性が作る短歌研究」より

 ネット上の炎上を見ていてると時に不安に襲われる。今まさに大バッシングを受けている人と、バッシングしている人と、それを「またか」と思い静観している自分と、それぞれの間に大きな違いはあるのだろうか、いや、ほとんど違わないのではないか。そう思うと足元ががらがらと崩れるような感覚がある。

 「正しさ」を突き詰めて過激さを増し、熱に浮かされたようにギロチン刑が執行されてゆくフランス革命時と、見知らぬひとの「正しくない」ことを見かけたら匿名のまま遠くから非難してもいいのだという現代のSNS空間とは、もしかしたら似ているのかもしれない。

 もちろんネット上のバッシングが即、死に繋がるわけではないから革命の苛烈さとは比べものにはならないけれど、悪意ある書き込みに追いつめられ実際に自死を選んだ人もいるわけで、息苦しさの質はやはり近いものがあるのではないか。

 日々流れるニュースや意見の対立に心乱れることは沢山ある。けれどぽろりと意見を呟いて、見知らぬ人にいきなり絡まれでもしたら面倒だ。それで私は大抵は意図的に傍観を選んでしまう。けれどその態度が「ギロチンがギロチンの子を産む」手助けになっているとしたらどうだろう。

そのままで見ていてほしい軋みつつわたしが斧になってゆくのを
               /大森静佳『ムッシュ・ド・パリ

 ギロチンの助産婦になるわたしはギロチンで斬られる側にもなりうる、そして斧にもまた、簡単にかわってしまうのだろう。

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