0があれば、歴史はもっと簡単になった
21世紀は激動の時代だね。
僕らの生きている現代も、いずれ歴史の教科書に載る日が来るだろう。
人は時代の波の中を生きている。20世紀も、17世紀も。
と、神妙な感じで始まったけど、歴史のなんたるかを語りたいわけじゃない。
もっとフランクに、「~世紀が何年とか覚えにくくね?」という話。
実際そうだよね。
「17世紀」は1701年~みたいなイメージをするけど、実際は「1601年~1700年」を17世紀って言う。
わかりづらい!
「17世紀のくせに1700年しか被り無いのかよ!」
そんなツッコミが歴史を習うたびに起きる。
なぜこの現象が起きているか。
それは0の発見が遅れたから。
数字はものの数を数えるために発明された。
だから数がある1から発明されるのが当然の成り行き。
でも「0」っていう「何も無い」ことを表す数字は西暦600年頃に発見される。
だけどこれは人が数字を使い始めてから3500年ほど経過した時。
紀元前にも数学に強い人はいた。
有名どころで言えば「ピタゴラスの定理」を見つけたピタゴラスとか。
そうゆう人がいたのに「0」は3500年間放置され、ついにキリストが生まれてしまった。
と言っても、概念的には存在してたらしい。
だけどそれを「無いものは無いよな」と自分の心に留めた人、人に言ったけど「何変なこと言ってんだ?」とバカにされた人がいて数学的に認められるまでに時間がかかった。
だからキリストが生まれて600年経った頃に「0」を認めても6世紀が終わり7世紀が始まろうとしている。
そのズレのおかげで我々は西暦と世紀の認識に苦労し、歴史が嫌いになるという弊害を受けている。
これを体験している我々は、後世への負担を軽減させてあげる責務がある!
「0」のように新しいものを見つけたら表現をする。
「0」みたいなことを言ってる人を応援してあげる。
これだけで今後を生きる人達に感謝されることだろう。
確かに変な人に見られるかもしれない。その応援が無駄になるかもしれない。
そんなネガティブなことを考えていても今と未来は変わらない。
今をおもしろく、未来を楽しく生きたいのなら表現しろ。
「0」があるおかげで「-1」という数も認識されるようになった。
その表現は世界を発展させる可能性がある。
表現者であれ!!
ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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