応援してます!
執筆日:10月13日
最近、気がついたことがある。
僕の夢は表現者の物語を聞くこと。
人の表現に触れることが好きだから、そこから得たものを自分なりに表現することが好きだから、この夢を叶えたい。
そのためにまず自分が表現者であること。
そして人に教えること。
これが大事だと思っていた。
だから奇をてらった発言をしたことも多々ある。
だけどそうゆう時は相手に刺さらない。
当たり前である。
上から目線で与えてやるよ感満載の発言を誰も聞き入れたいとは思わない。
大事なのは応援すること。
人がやりたいと思っていること、やろうとしていることを応援する。
それだけでいいのだ。
というのをこの動画で学んだ。
Facebook創設者・マークザッカーバーグの父親が語る教育論。
ここに出てくるデータに、「親と子で意見が違う場合、60%以上の家族が『親の意見』を優先する」というのがある。
僕がやろうとしていたのはこれなのよね。
僕の意見を優先して話を進める。
親子であっても趣味趣向や生まれた時代の違いがあるのだ。
僕が相手をしているのは僕の子供じゃない。
全く違う環境で育った別個体。
だから僕のやり方を教えてもその人には適さない場合がほとんどなのだ。
それなのにやり方を教えてしまっては、行動にバリエーションが出ないまま僕の二番煎じになってしまう。
それに対してマークザッカーバーグを育てた方法は応援すること。
周りに流されることなく、自分から湧き上がった感情を表現する応援をすること。
歯医者の父親からIT業界のビッグが誕生したのはそうゆうことなのだろう。
教えるというのは一種の責任転嫁。
教えた通りにやって失敗したら、その人の適正の判断もしないで、どこができていないかを指摘する。
教えた通りにできてなければ「だから失敗するのだ」と言う。
「僕はしっかり教えている。できないお前が悪い」という責任転嫁が起きているのだ。
教えるというのはあくまで応援の一部。
マークザッカーバーグをフェンシングスクールに入れたり、PCの先生を付けたのも応援の一部でしょ。
応援はただ単に「頑張れ」というだけの意味ではない。
心配もするし、時間であれ、お金であれ、投資もする。
応援って意外と広義な言葉なのだ。
これから人と接する時は応援の感覚を入れていきたい。
相手がどんなに嫌なやつでも、「僕とは関係無いところで成功してくれ」と応援できるくらい広い心を持ちたい。
自己肯定感は高く。だけど過剰にならず謙虚に。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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あなたも表現者にならないか?