人には人の発信場があり、やり方がある
執筆日:11月19日
SNSの台頭により、自分のプライベートを発信して承認を得やすい時代が来た。
上の言葉を見て「オレのこと言ってる?」と思ってる竜真会主宰もいるだろうが、今回の話はこれの是非を言うものではない。
知らない人、興味無い人が上の発信をいていても特段思いが出てくるわけじゃない。
知ってる人、尊敬している人がやっていれば「僕もやろ!」と影響を受ける。
「やってる内容」ではなく「誰がやってるか」で捉え方が変わる。
だからそのままやり続けてくださいまし。
じゃあ本題。
「僕ってこうゆう発信しないよな」という、自分を客観視した時の感想からこのnoteを始める。
少し前にはちょくちょくしてたんだけど、最近はめっきりしなくなった。
まぁやってないだけなんだけど。
「そうゆう発信できるのかっこいいな」と思う。
そう思ってやり始めた時もあったけど、続かなかった。
考えてみれば当たり前である。
僕は元々発信する側の人じゃない。
インスタのストーリーをバンバン更新できる人がいるでしょ。
僕は超見る専。
写真も全然撮らないからネタも無いのだ。
Twitterにしても「『おもしろい』と一言リプするのいらなくね?」と思うくらいの出不精。
人のリプを見るのは好き。
彼らの返しはセンスがある。
マンガのコメント欄とかほんとおもしろい。
でも僕はそうじゃない。
奇天烈な発言は出ない、普通で特徴の無いモブなのよ。
その名残があるんだろうね。
今でこそ「毎日note更新!」とかってやってるけど、僕ができるのは思考、感情の言語化。
しかも長文でダラダラ書かないとまとめられない。
情報が140字とか30秒みたいに短縮化している昨今には合わない人なのだ。
だからnoteを書いている。
短文、写真付きで「今してること」の発信ができないから、思い付いたことを発想からその時の出来事、心理描写からオチまでを文章で書いている。
絵描きさんに「pixiv」という場があるように、「note」が僕の発信場。
それでいいじゃんか!ってところに落ち着いた。
だから今後も「今やってること」って発信はしないかな。
というかできない。苦手です。
あれよ。ひろゆきさんのライブ配信みたいなもの。
切り抜かれたものを見る人は多いけど、ライブが無いと切り抜けないもんね。
だからツイートできるのよ。
あれ、ほとんど過去noteのまとめだから。
人から見ればめんどくさい工程を進んでいるように見えるかもだけど、この作業は割と楽しくやっている。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。スキやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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