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霊長類学は”オワコン”なのか!?【その4】:霊長類学のおもしろさはどのように表現できるのか


本連載「霊長類学は”オワコン”なのか!?」もいよいよ本記事でひとまず終わりである。山極さんとの対談に向けた論点整理のための個人用メモとして書いてきた本連載だが、今日の午後その対談が幕を開ける。本記事では「霊長類学のおもしろさをわれわれはどのように表現すればよいのか」という点を考えてみよう。

霊長類学の成果のアウトプットの方法と理念

山極さんはなぜあんなにたくさんの本を書いているのか

山極さんほど大量の著作を世に出している人はあまりいないと思う。Amazonで「山極寿一」を検索したら、かなりの数の本を出版していることがわかるだろう。「書かれたものの質が重要なのだ」という主張もよくなされるが、しかし量が(量のみが)語ることができる何かというのも確実に存在するとも思う(山極さんの書いたものの質について何か言っているわけではありません、念のため)。現代において研究者として大量の文章を書けることは揺らぐことのない正義である。

しかし、なぜ山極さんはこんなにたくさん本を書くのだろうか

もちろん山極さんほどの有名人になれば確実に需要があって(つまり売れる見込みが立つ)、出版社からひっきりなしに依頼がある、という事情はあるだろう。しかし、山極さんは若い頃から本を書いているのである。

山極さんの最初の本は『森の巨人』(歩書房)で1983年、次に『ゴリラ―森に輝く白銀の背』(平凡社)を1984年に出版している。山極さんがゴリラの研究を始めたのが1978年なので、そのわずか5〜6年後には本を出版していることになる。ちなみに山極さんが博士号を取得したのはその後の1987年である。

山極さんがゴリラの研究で英語の論文を最初に出したのが1983年(カフジ)、その後ヴィルンガにフィールドを移して1986年に次の論文を出版している。

現代の霊長類学は生物学の一部であり、自然科学の一部である、という話はすでに繰り返し書いた。自然科学分野(いわゆる「理系」)の研究では、最新の研究成果は国際学術誌に英語の論文として出版されることになっている。これは、科学の成果は万人に共有されるべき知的資産であり、現在の自然科学の共通語である英語で書かれ/読まれることによって、人類の共有財産としての研究成果が積み上げられる、という理念にしたがっているわけである。

霊長類学も例に漏れず、研究成果は英語で執筆・投稿し、専門家による査読を経て国際学術誌に受理・掲載されることで、初めて研究業績として認められる。国際学術誌に掲載された論文をどれだけたくさん書けたかが、研究者としての業績の指標となっているのが、現在の霊長類学(を含めた「理系」諸科学)を取り巻く状況である。なので、できる限り多くの論文を書いて国際学術誌に掲載することが、研究者としてのキャリアを形成する上で最も重要な指標となる。

私も専門家の端くれとして、霊長類学の知見を科学論文として読むことは好きだ。一般向けのプレスリリースなどでは曖昧だったり省略されていたりする部分が、論文には基本的に過不足なく掲載されているので内容の理解も深まる。

しかし一方で、科学論文を読むたびに感じるのは「この論文に書かれていないことは何か」ということである。

論文を書くためには、まず理論的な背景や先行研究を整理し、実際にサルを観察したり実験したりしてデータを収集し、収集したデータを適切な手法で分析し、分析結果から考えられる考察をまとめる必要がある。その過程をすべて論文中に書くことはできないので、必要最小限の情報に限定して論文を書くことになる。つまり、研究の過程で得られた情報のうち、論文に載せられる情報はごく限られており、その他の多くの部分は削ぎ落とされることになるわけだ。

研究者は常にこのジレンマに直面していると言っても過言ではない。どの領域の研究であれ、研究というのはその過程自体がおもしろいのだが、しかし論文にすべてを書くことはできないので、論文の作法にのっとって、研究の過程のおもしろさを削ぎ落としつつ、「ある結晶」として論文をまとめることになる。

もちろん結晶には結晶の(結晶にしかない)美しさがある。それは繰り返し強調しておかねばならない。

一方で、結晶化の過程で削ぎ落とされた「夾雑物」には価値はないのだろうか、とも思う。そうした「夾雑物」は、エッセイなりそれこそ対談なりで、インフォーマルな場で「こぼれ話」として書いたり語ったりすることで、みんなにおもしろがってもらえばそれでいいのかもしれない。しかし果たしてその「夾雑物」は、「インフォーマルな知」であり「正当化されることのない知」なのだろうか


「サルと文学」の系譜

ここでまた霊長類学の歴史の話に戻る。日本の霊長類学はその創成期から、コンパクトにまとめられた科学論文ではなく、単著の本やモノグラフを書くことが求められていた。今西錦司の明確な方針のもと、フィールドワークで五感を使って得た経験を削ぎ落とすことなくある種の文学として表現することが、今西の弟子たちには求められていたのである。

初期の日本霊長類学の代表作、伊谷純一郎が大分県・高崎山のニホンザルの調査の様子をまとめた『高崎山のサル』は、今西が企画した「日本動物記」第2巻(光文社)として出版されたものである。伊谷が高崎山で最初に調査をしたのが1950年4月で、『高崎山のサル』初版の出版が1954年、つまりわずか4年のうちに初期の調査をまとめて単行本に書き上げたことになる。伊谷が28歳のときのことである。そしてこの『高崎山のサル』は、翌1955年に第9回毎日出版文化賞を受賞することになる。

まだ研究を始めたばかりの若者が、その初期の調査をまとめて読み物としての本を書くことは容易ではない。実際に伊谷も執筆に苦心して文学作品を読み漁り、ヘミングウェイと志賀直哉の『暗夜行路』の文体を参考にすることで、ニホンザルやその生息環境の情景を描くことができるようになったとのちに述懐している。

「日本動物記」を立ち上げた今西の目論見と気概がよく表れている記述を引用しておこう。

ウマをやりだしたときから、われわれは一匹一匹を識別して、観察するようにした。この個体識別という接近法こそは、彼らの社会生活の秘密をひらく、ただ一つの研究手段であったのだ。『動物記』といえば、ひとはすぐシートンを思い出すであろう。しかし、シートンはおおむね動物の英雄をえがいて、動物の社会をえがきだしてはいない。(中略)その他大勢ともいうべき連中に注意を向けることは、いままですっかり忘れられていた。物語なら、それでも書けるであろうが、それでは実態調査をしたことにならない。われわれは、文学よりも科学を求めるものであった。

それにもかかわらず、われわれがシートンにならって、『日本動物記』を名乗ったのはなぜであろうか。ここに公表するのは、われわれの実態調査の報告書でもなければ、科学的な研究成果をまとめた論文でもない。それももちろん、われわれとしては書くべき義務を負うているが、そのためにはまたちがった書き方があり、発表のしかたがあるであろう。これはわれわれが現地において、汗にまみれ、茨に傷つきつつ、野帳(フィールドノート)に書きつづけた観察記録そのものであり、それがそのままわれわれの生活記録に通ずるものである。それは科学にして文学なのである。

われわれの望むところは、真実からしぼりとったエキスでなくて、エキスになるまえの真実がお伝えしたいのである。われわれの望むところは、われわれの肉迫によって、真実が一枚一枚とベールを脱いでいく様子を,お見せしたいのである。ここまでいえば、シートンの『動物記』とわれわれの『日本動物記』とのちがいは、すでに明らかである。『動物記』は純然たる文学作品であったが、『日本動物記』はまた、日本生態学そのものの生きた記録でもあるのだ。

今西錦司(1955)光文社版『日本動物記』案内より

どうだろうか。「文学よりは科学を求める」と言いつつ、すぐに「それは科学にして文学」とパラフレーズしている。少なくとも、科学と文学を明確に区別しようとはしていないと言えるだろう。動物の生き様とその観察記録をある種の文学として(も)書く/読む、という明確な意図が読み取れるのではないだろうか。

山極さんが初期から(学位取得前から)本を書いていた、というのは、明らかにこの今西以来の日本霊長類学の系譜の影響があると思われる。山極さんのほぼ同世代の伊谷門下の一人である黒田末寿さんも、初期のボノボの調査をまとめた『ピグミーチンパンジー』(筑摩書房)を1982年に出版し、同年の読売文学賞を受賞していることも、こうした「サルと文学」の系譜をたどるうえでは見逃せない出来事であろう。


「新・動物記」の試み

私は黒田末壽さんと一緒に、2021年に刊行開始した単行本シリーズ「新・動物記」(京都大学学術出版会)のシリーズ共編者を務めている。実は私自身は、それほど日本霊長類学の歴史や「サルと文学」の系譜について深く考えていたわけではなく、単純に「動物研究者のフィールドワークや実験の話、めっちゃおもしろいので、みんなに書いてもらって自分が読みたい」というごく自己中な動機で、たまたまこういうシリーズを作ろうと考えていた黒田さんに声をかけてもらったのがきっかけで、シリーズ編集に関わることになった。

私もそれなりに研究してきた年月が長くなり、論文には書けないけど面白い話はいくらでもある(ここには書けない話もそこそこある)。他の動物研究者と話してみると、論文には書かれていない「猥雑な」研究の現場の話はまさに尽きることがなく、インフォーマルな場では対象動物のことや調査の苦労などいくらでも話してくれて、しかもそれが例外なくむちゃくちゃ面白い、ということにも気づいてきた。しかし、これを私が酒飲み話として聞くだけではすごくもったいないのではないか、という貧乏性的な気分もムクムクと頭をもたげてきていた。

実際に企画を立ち上げて、若手の動物研究者にいろいろなツテを頼って声をかけてみると、意外にも執筆を快諾してくれる方が多く、これもまた驚きだった。なぜなら、若手の研究者はまさにキャリア形成の重要な時期でもあり、上に書いたように英語の論文を書くことに注力しなければならない時期だからである。しかしいろいろやりとりをしてみると、やはり皆さん論文には書けない(書かない)けど自分が経験してきた「動物とのあれこれ」の面白さを知ってほしい、という気持ちは共有しているようだった。動物研究者が面白いと感じるところには、対象種によらずそれなりに共通した部分があるのかもしれない。


さて、そろそろ対談のために出発しなければならない(ギリギリまで何をやっているのか…)。まとめよう。

霊長類学は、元々は社会学や人類学として出発したが、やがて自然科学(生物学)の一分野として成熟・発展して現在に至る。一方で、自然科学の成果として期待されている英語の学術論文には収まりきらない動物研究やフィールドワーク(実験も含む)の魅力をどのように伝えていけばよいのか、という点で、「本を書く」という方法は、「サルと文学」の系譜から連なる「科学にして文学」という古くて新しいフロンティアを、もしかしたら開拓できるのかもしれない

「サルと文学」の系譜に連なりつつ、これまですでにおびただしい数の学術論文と本を書いてきた山極さんに、この「動物研究とメディア」についても、ぜひ聞いてみたい。

さて、まもなくリングインである。ここまでの長い煽りVを楽しんでもらえたら幸いである。3カウント後には骨を拾ってほしい

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