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「ダサい」人は成功しない#88

いきなりスパイシーなタイトルですが、
タイトルの「ダサい」と言うのはファッションセンスとかを言うのではなく「生き様」のこと。

かく言う私はファッションセンスにおいても、生き様においても自分をとてもじゃないけれど、かっこいいと言うことはできません(⌒-⌒; )

でも、今回はファッションインフルエンサー、ビジネス文脈でも大活躍のMBさんの配信を聞いての気づき。

自分の中で「ダサい」とはどういう感覚なのかを持っておくことは大切なことだなと思い、MBさんの配信名をそのままタイトルにしてみました。

MBさんのエピソード

MBさんがダサいって思ったのはご自身のこと。

私はこうして、自分のことをダサかったよな、と内省できるMBさんがかっこいいと思いますが。

エピソード自体は、シンプルなお話でMBさんが中距離移動はタクシーを使われるそうなのですが、タクシーの中で仕事をしていたと言うこともあり、タクシー運転手さんにぞんざいな態度をとってしまったと言うのですね。

でも、料金支払いの時、実はそのタクシー運転手さんがMBさんのファンだったと聞き面食らってしまってすごく恥ずかしい思いになった、自分のことをダサいと感じたということだそうです。

ダサいとは「美意識」がない

ここでMBさんが上手に表現されているな、と思ったのは、


ダサいというのは美意識がない

ふるまいや生き様においても美意識がない人は、
行動基盤がない、利己的である
そんな人に人が熱中して集まってくるはずがない。社会は自己中心的な存在を許してくれない。


生き様について美意識を持つこと、それに反する行動をとることを「ダサい」と思う感覚って大切だなと思いました。

なりたい自分になるというのはなりたくない自分を定義すること

よくなりたい自分になるにも、どんな自分がなりたい自分なのかわからない、と言う人がいます。

でも「ダサい」自分にはなりたくない、と「なりたくない自分を定義すること」がなりたい自分に近づける一歩なのかもしれません。

私にとってのなりたくない自分3選

それでは私にとってのダサい自分、美意識に反する自分はどんなものか考えてみました。

  1. 人を尊重せずがない

  2. 人をジャッジ値踏みする

  3. 他人にフリーライドすることに何の抵抗もない、いわゆるテイカー気質

あくまで私の場合です。皆さんはどうでしょうか?

まとめ

ダサい、と聞くと、一見ファッションセンスのように思われますが、そうではなく、生き様においての自分の中の美意識の話。

それを自分の中で定義することがなりたい自分に近づく第一歩かもしれませんね。

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