「むなしさ」の味わい方
という本を読みました。
p.113より引用…
現代を生きる私たちは「間」というものに耐えられない傾向が強まっています。
結論を急ぐし、すぐに結果が出ることをのぞみます。
そして「間」が生じて「むなしさ」に襲われることを回避しようとするし、また回避しようとする仕組みがはりめぐらされているのです。
以下は感想です。
たしかに、生きていると「間(ま)」が訪れます。
その「間」を何で埋めるか、は大事だな、と思いました。
もしくは「間」を埋めずに、その居心地の悪さを味わう、慣れる、ことも大事だと思いました。
子育てをしていて思うのですが、子育て中もある意味、その子が大人になるまでの「間」で、その子がどんな大人になるかわからないから不安で、白黒つけたくなる感じがあります。
だから、○○すると賢くなる!とかいい子に育つ!とか色んな本や記事を過剰に読みたくなるのかもしれません。
早く結果を確定させたい感じ、です。
(もちろん健全なしつけや道しるべはしてあげていいと思っています)
他にも、生きていると時間的にも心理的にも、どっちつかずな、よるべのない、「間」が訪れるかもしれないのですが、それをあぁ来たな、いまそう感じているな、という程度に収めて、慣れると楽かもしれないな、と思いました。
そこを無理に埋めよう、埋めようとすると苦しくなるのかもしれません。
「間」を無理に埋めようとしすぎず、今日は子供の姿をしみじみ見ようかなと思います。
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