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私だけは違うと思ってた

家族が難病になって、なんとか自宅療養できるようになって、いろいろとこれまでとは違うことに折り合いをつけてきたけれど、自分だけは、夫の病気が治ることを目指すことをやめてないつもりだった。

私の哲学では、私の在り方が世界を造ってるわけだから、私のできることで、できる限り限界突破していくことで、世界もどんどん進化していく、という設定で、そうしたら治療法も研究されていくと思っています。もちろん直接の働きかけも大切ですが。

だから、無理かな、ヤバめかなと思うことでも、やるべきと思えることは実行してきました。そうすると疲弊してきて、周りの人を苦しめるようになってもきました。自分への期待が大きくなり、周りの人にもこのくらいできるでしょ?と期待してしまいます。近しい関係だと縁を切りたいほど怒りを感じました。あなたは家族なのに、病気が治ることを目指してないの?自分の幸せ優先しちゃってるよね、と思っていました。

だけど今、私は自分の幸せは大切だし、どこかで現状を受け入れてしまっている。夫は優しいし、家にいてくれる。私はいつも働かないといけないからイライラもしているけれど、やりたいことに挑戦できている。

どこかで、治ることを諦めちゃって、今とうまくやる方向にいるのかもしれない。今とうまくやる方がサスティナブルかもしれない。家族の幸せにつながるかも。

でも、私だけは違うと思っていたのに。

夫は私が言うのもなんだけど素晴らしいひとで、まだまだ世の中の役に立てる人。
まだあきらめたらだめなんだよ。

難病は難しい病気だけど、難しいというのは不可能とは違う。絶対に諦めるとかない。焦らずに、進み続けなければならない。今も家族といられるだけで幸せだけど、そこはゴールじゃない。

やっぱり、私だけは違う設定で、ミラクルを起こそう。

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