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不登校を解決し、息子は高校受験に邁進中というところまで書いていましたが、その後彼は、退学した学校を再度受験して合格。進学校に戻り、自分なりに頑張っている様子です。私はまだガミガミ母ちゃんをやめられず、「その程度でやった気になっちゃってますかー?」とか意地悪を言ってますがスルーされています。毎日往復4時間の通学を頑張り、夏休みは2週間弱のオーストラリア研修を経験、ピアノコンクールもちょこちょこ出場し、楽しく生きている様子です。一緒に生活できるのもあと少しなんだなぁとしみじみします。

どうやって不登校に取り組んだかは以前に書いている通りですが、基本的にはこの世界は私がつくっていて、子供の不登校も私の意識に大量にその原因があるという立場に立って解決してきました。誰のことも責める必要がないことが本当に良かったと思います。放っておくと自分を責めたり家族を責めたり、無意識にしてしまうので、このメソッドに立ち返って落ち着く、というのを繰り返してきました。

私の生活も落ち着いて、仕事は順調に進み、英検1級に合格しました。二次試験の不合格を2回もらい、4回受けるチャンスがあるのですが、1回は申し込み忘れたので、あと1回しかチャンスがありません(汗)日々コツコツ勉強する日々です。

難病の夫は、リハビリを頑張り、仕事もしつつ、ゲームや好きな歴史の勉強に励んでいます。完全な仕事復帰はならず、無理をすると発熱するし、元の生活には戻れていないのですが、毎日明るく過ごしてくれています。

でも、これで満足ではないです。やはり、夫はまだ50歳なので、これからまだ活躍できる、最後の山を登り切りたい世代。夫の病気が治らないことには、私の思い通りの世界を生きているとは言えないです。

私の世界では、夫を病気にしたのは私。私の潜在的な怒り、根本的な勘違いを治し、ここまできたけれど、そろそろ他の方向から原因を根こそぎ解決する時です。

別方向から夫の難病を生み出した原因を分析してみました。家族が難病であるメリットとは何なのか?人はメリットしか選ばず、それを自分が選んだ、という前提で考えていきます。

100万人に2人の難病というのは、ある意味特別な体験です。一般の恐ろしい病気よりも何か特別感があります。ここで、特別になりたい、という願いが強くあると分析してみます。さらに人に優しくされたり、責任を免除されます。また、家に夫がいつもいるという状況、夫に頼りにされるという状況も欲しかったのですね。

くだらんメリットを捨てさせる文章を作りました。

家族が難病であるメリットとは?

希少な体験。
悲劇のヒロイン気取り。
いろいろなことを免除される。
家族に頼りにされる。

本当にそんなものがメリットか?
自分の怠慢、傲慢さを思い知れ。
無償の愛をくれた親に恥ずかしいと思え

自分の価値を自分にわからせろ。
本当に努力して結果を得れば、自信も人からの尊敬もお金も全て手に入る。
マイナスなことで注目を浴びたり、優しくされたがるな。
実力でチヤホヤされろ!!!

なかなかきつい口調ですが、私はこれですごく元気が出るようになってきました。


そもそも一般的には、家族の難病の原因が、自分が特別になりたいからだなんて受け入れられないものかと思います。

それができるのは、そもそも自分の知らない自分が大部分を占めているから、それを掌握するには分析し、それを受け入れることなしには始まらないという理解からです。その自分こそが、この状況を変えられるのだから、逃げるわけにはいきません。また、自分を責めるとか、自分が神様、創造者なのに、責めている時間が無駄じゃないの、と思うのです。

自分が創造者だと受け入れることで、必ず夫の病気が治る日が来ると信じられます。夫が元気になって社会貢献していける世界線を必ず取り戻していくつもりです。

※この考え方は誰にでも当てはまるものではありません。決して難病の方を攻撃する目的でもありません。フラクタル心理学をもとに結果を出していこうとされている方、あるいは、何かの問題を解決しようとしている方のヒントになればと思います。自分が創り出している前提に立つと、最強になれますよ。

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