ユーミンと永遠④
ユーミンは「とりとめのないもの」や「はかないもの」をとてもうまく歌詞にします。聞くところによると、ユーミンは「せつなさ」を、音楽をとおして追究(追及)しているのだとか。
そのせつなさとは「永遠」のことです。
たとえば「紙ヒコーキ」というユーミン(荒井由実)の作品は「とりとめのない気ままなものに どうしてこんなにひかれるのだろう」と歌います。とりとめのない気ままなものが永遠そのものです。
それになぜかひかれる。
つまり意思の力で「そんなものにひかれてはならない。生活するためにしっかり働かなくてはならない」と思ったところでなぜか永遠にひかれるのがわたしたちなのです。
ヒコーキつながりで「ひこうき雲」(荒井由実)。
歌詞のなかの主人公である「あの子」は「誰にも気づかれないままのぼって」ゆきます。永遠とは誰にも気づかれない心のいち領域なのです。だって、「あの子がなにを考えていたのか誰もわからない」のだから。
やがて「あの子」は「空へ舞い上がり」ます。死をも恐れない気持ち。それが永遠です。その「あの子」は「空にあこがれて」いました。つまり崇高なもの、神がかっているもの、神ではないが神につながっているなにか、にあこがれました。ようするに永遠にあこがれていた。
だから(しかし)「あの子」は「しあわせ」だとユーミンは歌詞に書きました。永遠にあこがれ、それに生涯を賭すことはしあわせだ、すなわち永遠を地でゆく生き様はしあわせだということでしょう。
ところで、ユーミンは1990年に「天国のドア」というアルバムをリリースしました。当時は1枚のアルバム、すなわち10曲ほどで1つのコンセプト(概念)を表現することのできた時代(ようするに今のように1曲ずつダウンロードでしか売れないのではなく、アルバムが売れていた時代)でした。
そのアルバムのキャッチコピー(当時はバブルでお金ならいくらでもあったのでアルバムにご丁寧にキャッチコピーが添えられていた!)が
「永遠をお探しですか」
でした。ユーミンがキルケゴールやラカンを読んだかどうかは定かではありません。しかしそのキャリアの最初期からとりとめのないものにこそ、うたの歌詞にすべき価値あるものが含まれていると(おそらくは)考えていた(であろう)当時のユーミンにとって、そのキャッチコピーは「キャリアの集大成」というべきものだったのではないでしょうか。
時はバブル。お金があればなんでも買えると多くの人が思っていた時代。その時代にあって、ユーミンはお金をいくら積んでも買えないもの、すなわちみずからの心に宿る永遠に限りなく近づきたいと思っていたのかもしれません。
実際にユーミンのプロデューサーである旦那さんの松任谷正隆さんは「天国のドア」をプロデュースし終えて次のようにお話しています。
――こんなことを言うと、病院に連れていかれるかもしれないけれど、僕は確かに神をみたんだ――(月刊カドカワ VOL.9 NO.1)
とりとめのないものにひかれる気持ちや、死にあこがれる気持ちは、おそらく誰でも抱いたことのある気持ちではないでしょうか?
「いや、そんなものに惹かれないでもっと仕事を頑張るべっきっしょ」「いや、自殺はよくないっしょ」現代はそういう意見が幅を利かせていますね。合理的かつ効率的に金儲けする人が「えらい」んでしたっけ? 現代においては。
しかし、世間がどうあれ、謎の存在者「X」がわたしたちをあらぬ運命に引きずり込むのは、キルケゴールやラカンの慧眼のとおり、今もむかしもまったく同じなのです。
※参考
キルケゴール・S『死に至る病』鈴木祐丞訳(講談社)2017
哲学塾カントにおける中島義道先生の通信教育テキスト
哲学塾カントにおける福田肇先生のご講義
ひとみしょう『希望を生みだす方法』(玄文社)2022
ひとみしょう『自分を愛する方法』(玄文社)2020
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