自己分析とキャリアアップの描き方
――自分に適していない仕事についたとき、自分にもっと適しているなにかに「引き戻されている」というイメージーー
このことをシャインという人はキャリア・アンカーと呼んだそうです(『デジタル時代のキャリアデザイン』森田佐知子著)
心理哲学の方面からみて、上の提言が優れているのは「引き戻されている」という言い方です。
自分に適していない仕事からほうほうのていで逃げ出すといった主体的行為ではなく、「何者かに」「引き戻されている」。これが心理哲学の洞察と見事に一致する。
つまり、わたしたちは仕事をはじめあらゆるものを主体的に選んでいるようで、じつは「何者かによって」「選ばされている」あるいは「選び損なわされている」。
この「~される」という受動的生き様を、精神分析家であるラカンは、シニフィアン連鎖のしつこさと呼びました。
キルケゴールは永遠、と――。
夏目漱石は不可思議な恐ろしい力、と――。
芥川龍之介はただぼんやりした不安、と――。
つまり、キャリアデザインするとき、じつはわたしたちは、キャリアではなく人生をデザインしているのだということ。
そして、デザインしているのではなく、何者かにデザインさせられているのではないかということ。
この2つの意識が非常に重要ではないでしょうか。
あなたにキャリアをデザイン「させる」のは、「何者か」すなわち、不可思議な恐ろしい力、永遠です。
それは意思の力でどうにもならないものです。
たとえば、どう努力してもいつも第2希望の会社にしか就職できないというのは、不可思議な恐ろしい力のせいであり、あなたのせいではない。換言すれば、もって生まれた血のせい。ラカン的には2世代前の「悪い血」のせい。すなわち祖父母ゆずりの「性格の癖の遺伝」のせい(性格は生物学ではないので遺伝とは言いませんが、わかりやすく言えば遺伝です)。
自分が何をもって生まれてきたのか。
自分の祖父母はどのような「幸せになるパターン」を生きたのか?
「不幸になるパターン」を生きたのか?
自分はなぜ沈みゆく夕陽にせつなさを感じるのか?
自分が好きなあの映画を、自分はなぜ好きなのか?
自分はなぜ初恋のあの子のことをいつまでも未練たらしくなつかしむのか?
こういった、あなたがいまだ完全に言語化できていないことを考えることで、あなたにキャリアをデザインさせている謎の存在者Xの正体をあばくことができます。
ともあれ、心の非言語領域を言語化することが、真の自己分析であり、それにもとづくキャリアデザインが真のキャリアデザインであるといえます。