買物依存症の本当の原因と解決法⑳
――買い物をすると気分が高揚し、一時的に嫌なことが忘れられるので、繰り返し買い物をしてしまい、(…やがて衝動買いの)欲求が抑えられないため、借金を繰り返し、自己破産に至るケースもあります。買った後罪悪感にさいなまれ、自己嫌悪に陥ります。――
(引用:大石クリニック)
「一時的に嫌なことが忘れられる」の「嫌なこと」の多くは「この自分」です。むろん、直接的には、たとえば会社の上司が嫌、夫のことが嫌、子育てが嫌、ということでしょう。
しかし、それらをよく見たとき、嫌な上司とかかわっているこの自分が嫌、あんな夫に支配されているこの自分が嫌、いきおいで子を産んでしまったこの自分が嫌ということでしょう。そうですよね?
この自分が嫌。
この気持ちをキルケゴールという哲学者は、端的に、絶望と呼びました。この自分が嫌で、この自分から逃れたいと思う気持ち、すなわち「なりたい自分」になろうとする気持ち、それを絶望と呼んだのです。絶望とは「なんかさみしい」気持ちのこと。
つまり、買物依存症とは端的に「なんかさみしい」気持ちが誘発させるふるまいのことです。
その原因を、科学の心理学はドーパミンに求めています。
――過度な買い物が習慣化すればするほどドーパミンが分泌される頻度も増え、快楽や喜びを感じやすくなります。(しかしドーパミンは)すぐに枯渇します。すると、それまでの強烈な快楽が得られなくなるためにさらに買い物行動は促進され、ドーパミンは枯渇し、むしろ焦りや不安、退屈感といった不快体験が増えていく…という悪循環に陥ります。このレベルにまで達すると脳は快楽だけを求めて体に指示を出すため、簡単には抗えません。このような経過を経て、「やってはいけないとわかっているんだけどやめられない」という依存が形成されます。――
なるほど、と膝を打つ言説ですね。
他方で、心理哲学は買物依存症の原因を永遠、すなわち心の中の非言語領域に求めます。「なんかさみしい」の根本原因が永遠だからです。つまり「この自分」を好きになれば買物依存症は治るということです。
では、どうすれば「この(嫌な)自分」を好きになれるのでしょうか。
これにはいくつかの答えがあるように思います。
まず、今の仕事が嫌であるゆえに「この自分」が嫌いな人は、即座にやりたい仕事に転職する。資格が必要なのであれば即座に資格取得のための勉強を開始する。転職したり勉強したりするにあたり生活に困るのであれば、生活のサイズを小さくする。たとえば、生活費25万円で暮らしているのなら15万円で暮らせるように生活自体を調整する。こういう現実的な方法があるのではないでしょうか。
より本質的な解決法、すなわち「この自分」を好きになる方法は以下の2つ。
1つは、永遠という非言語領域をできるだけ言語化してあげる。
これは小説やうたの歌詞、映画などを手掛かりにするといいでしょう。そこに出てくる主人公の多くは、みずからの永遠につまずき、それと闘い、人生を勝ちとっているからです。
今1つは、自分のルーツを知ることです。
わたしたちの性格は祖父母譲りだというのは、精神分析の世界における定説だそうです。したがって、祖父母の生き様を知ることがすなわち、私たち自身を知ることになります。自分のルーツがわかれば、嫌な性格を直したいという発想それ自体が消滅します。
買物依存症は「この自分」を好きになることによって改善されます。
ちなみにキルケゴールは、「女」を買う買物依存症だったのではないか、と私は踏んでいます。研究者たちは品よく「彼は若いころ放蕩生活を送っていた」と書いていますが、さまざまなことを総合的に見ると、キルケゴールは「女」を買いあさる買物依存症だったのでは?
ま、彼は裕福なおうちの子でしたから、自己破産することなく、父親が「店のツケ」を支払っていたようですけど。
※参考
キルケゴール・S『死に至る病』鈴木祐丞訳(講談社)2017
哲学塾カントにおける中島義道先生の通信教育テキスト
哲学塾カントにおける福田肇先生のご講義
ひとみしょう『希望を生みだす方法』(玄文社)2022
ひとみしょう『自分を愛する方法』(玄文社)2020