増殖するシルヴィア、セカイ系の原型的風景
フィリップ・K・ディックの短編、『この卑しい地上に』は、得意とするSF的モチーフを使わずにディック的悪夢の世界を描ききったホラー小説である。
■あらすじ
シルヴィアという娘が白い翼を持つ恐ろしい存在に連れ去られ、ようやく地上に帰されたとき彼女はすでにこの世のものではない力を身につけており、彼女を中心にして世界中の人間すべてが"シルヴィアそのもの"へと変化してしまう・・・・・・。
H・P・ラヴクラフトやスティーブン・キングといったホラー作家を思い出させるような黙示録的悪夢でもあり、特にキングとはハリウッド映画の原作者として作品数を競うほどの映画との親和性も挙げることができる。
それでいて、ディックはこんな綺麗な文章を書くのか、と少なからず驚かされる。特に書き出しの部分、少々長くなるが引用すると、「シルヴィアは笑い声をひびかせて、きらびやかな夜の中を走った。薔薇とコスモスとフランス菊のあいだを縫い、砂利道をくだり、芝生から掃きよせられた枯草の山の匂いをあとにした。星々をそこかしこで捕えた水たまり、その輝きを踏みしだいて、煉瓦塀の外の斜面に走りでる。空を支えたヒマラヤ杉の木立は、ほっそりした娘が栗色の髪をなびかせ、目をきらめかせてその下をくぐりぬけるのを、気にもとめていなかった。(浅倉久志訳)」という箇所などは、シルヴィアと彼女を取り囲む自然のいきいきとした描写になっていて、彼の他の小説にはなかなか見られないものだと思う。
なぜ少女は増殖するのか。
この作品が、主人公のリックとその恋人シルヴィアとの関係性から成り立っており、またその関係性が世界を滅ぼしてしまうこと、これは「きみとぼく」の物語といわれる、いわゆるセカイ系作品の定義と一致する。
もっと興味深いのは、シルヴィアが増殖するという作品一番の見せ所だ。『serial experiments lain』や『新世紀エヴァンゲリオン』には、増殖する少女が登場するのはよく知られている通りで、『lain』では現代的な疎外感の暗喩、『エヴァ』では自分でも制御できない心の奥の何か、という点から共通点を見ることができる。それはこの短編が書かれた1954年という時代、アメリカという国が何らかの仕方で90年代〜の日本と繋がっているということを意味する。
ともかく新鮮で色褪せず、まだ彼の代表的な長編や短編が執筆されていないこの時期にこのような短編を書いているというのは驚くべきことだった。