
SNSとの向き合い方を考える~#読書の秋2022 けんすうさん推薦図書を読んで
noteの「#読書の秋2022」の企画に参加しています。
noteさんのcanvaテンプレートを利用してつくりました。

今回は、10月開催された「クリエイターフェスティバル」に登壇された、けんすうさんの推薦図書「ソーシャルメディアプリズム」の読書感想文です。
↓note「読書の秋2022」概要はこちらです。
要約
この本では、アメリカにおいて政治的な意見を述べる際SNSを使う人たち、及びSNSによって意見が変わっていったり、オフラインで関係のある人たちとの関係性の変化について、具体例が多数掲載されていました。
SNSには中毒性がある
スマホから手を離せない状況にさせる
私たち人間の注意力が散漫になってきたことは、SNSがもたらした結果の一部でしかない
→根本的な原因は、私たちのあまりにも人間的な営みが、SNSによってはるかに簡単にできるようになったこと。その営みとは、様々なアイデンティティーを試して、他人の反応を伺い、自己啓示を更新して帰属意識を味わうこと。
↓
SNSは実際には社会環境を曲げたり屈折させたりするプリズムであり、自己や対他人への感覚を歪めている。
ソーシャルメディアプリズムは、
穏健派を黙らせる
↓
なので、強烈な意見をいう少数派の意見に注意する必要がある
新たなプラットホームの可能性と現実性
匿名の投稿プラットホームの可能性
白人男性と黒人女性が、匿名で銃規制問題について議論をすると、議論が歩みよった
→互いの人種背景を知っていたら、議論の歩みよりは可能だったか?
↓
こうした匿名のプラットホームは、現実的?
→SNSに人々が魅力される理由に立ち返って考えてみる
(自己啓示、承認欲求…)
SNSとの向き合い方
人間は誰しも色眼鏡をかけているし、承認欲求もある
普段SNSを使っている人でもそうでない人も、承認欲求は必ず存在するものだと思います。
「正義」というのも各々持っていると思います。
しかし、その「正義」を、気づかずうちに他人に武器として振りかざし、傷つけてしまうこともあります。その代表的な事例は、炎上でしょう。
なぜ、そうなってしまったのかを考えたとき、
私たちは手軽にスマホで情報を得られやすくなった分、誰かから見た景色の中での意見を受け入れやすくなってしまい、それをいつのまにか自分の意見として刷り込まれてしまうこと状況になっているから、
と私は考えます。
別の言い方をすると、自分が「正しい」と思っていること(正義)をいつの間にか当たり前のことだと勘違いをし、違う意見を持つ人を遮断したり、否定して遠ざけてしまうこともあります。
もちろん、人間ですから意見が違う人はいて当然だと思います。しかし、批判・否定をするのは方法が違います。
↓こちらの記事でも、SNSから見る人の特徴を事例と共に分かりやすく解説されています。
投稿する前に一度立ち止まる
特に、SNSで議論が盛り上がっている際は自分もどちらかの側に立ってその意見に乗っかりたい気持ちも芽生えるはずです。
例えば、政治的な意見や、誰かの失言に対しての批判のコメントなど。
ただ、投稿をする前に、一度立ち止まって考えてみましょう。
自分が批判したい矛先の人は、どういう経緯でそのような発言・行動を起こしたのか、あなたは理解した上での発言でしょうか。
↓1年前に、とあるドラマを見て同じようなことを考えていました。
↓日経テレ東大学 ゆかさんの回でも、この本で取り上げられたような話をじっくり深掘りされていました。テレ東プロデューサーの高橋さんを交えての話でもあったので、様々な視点で議論されていて面白いです。
自分が偏った考えになっていないか、定期的に振り返る
自分の考えを否定されると、とても辛いですよね。
でも、自分が「正しい」と思っていることが本当に正しいのか、振り返る機会をつくることは大事だと思います。
むしろ、「あなたの考えは偏っているよ」と正直に教えてくれる人の存在は貴重です。
自分は色眼鏡がかかっている、というのを頭の片隅に入れておきたいものですね。
— ひとみ hitomi|noteイベントの常連 (@ichito0123) November 10, 2022
今日は自分の色眼鏡を認識できた回でした。
追記: Facebookが12/1以降、プロフィール情報を変更すると発表。
SNSを整理する
なんとなく使っているサービスがあるとして、なんか「居心地悪いな」と思ったりする場合。
私は削除をしてもいいと思います。
皆さんそれぞれの時間も貴重ですからね。
↓10Xの代表、やもってぃーさんの考えも参考になると思います(Podcastです)。
ぜひ、皆さんもこの機会に考えてみてはいかがでしょうか。

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