「Suicaをタッチしてください」に感じる違和感。〜後編〜

「Suicaをタッチしてください」の「を」に違和感があるという話の後編です。

↓ダイジェスト↓

前回、「Suicaをタッチしてください」という言葉は「Suicaに触る」という意味にも捉えられるので、少し日本語として違和感がありませんか?という私の長年の疑問に対して、「タッチする」を「触れる」と読み替えるとしっくり来る、という意見を紹介して中途半端に終わりました。今回はそれだけではこの問題はスッキリ終わることはできないのだ、という切り返しから始めようと思います。

そして前編後編を通して、特に日本語に特化した専門知識を持たない人間の感覚的な話であることを口酸っぱく付け加えておきますw


↑ダイジェスト終わり↑



さて、本題に入ります。

Suicaをタッチするという文に感じる違和感は、「タッチする」という言葉を「触れる」と読み替えることで払拭されるのでしょうか。

答えはNOです。

「Suicaを触れてください」という文が自然過ぎて一瞬納得してしまったのですが、これは元の文の形を大きく崩してしまっているので、並列には語れません。


肝は「タッチする」という動詞にあります。

「タッチする」は「タッチ」という名詞に「する」という言葉を足すことで動詞にしています。これを安易に「触る」や「触れる」と置き換えてしまうと、助詞の使い方などに変化が出るため、「Suicaを」と「Suicaで」の違いを考察することができません。

そして「タッチ」という言葉が外来語であるが故に、さらにこの日本語文法的な話を分かりづらくしている気がします。


例として、外来語を使わないパターンで考えてみます。

「破壊する」

試しにこれで考えてみましょう(言葉のチョイスに特に意味はないですw)。

この言葉は「タッチする」と同じように「名詞 +する」という構成になっています。これを元の文に当てはめてみます。


『Suicaを破壊してください』


…不穏ですね。

ただ、これだと明らかに改札機の要素が抜け落ちて、破壊の対象がSuicaになっているのが分かると思います。では、「Suicaで」だとどうなるでしょうか。


『Suicaで破壊してください』


「え、何を?」という感じがしますが、少なくともSuicaを破壊の手段としていることは伝わると思います。もし、改札機の前にいるシチュエーションであれば、「え?改札機を?Suicaで??」となりますね。なりますよね?


これと同じ要領で

「Suicaをタッチしてください」

を見てみると…どうでしょうか?


「Suicaに触る」という意味に見えてきませんか?


ただ、先ほども言ったようにタッチという言葉がこの話を分かりづらくしています。タッチを名詞として和訳するとおそらく「接触」が一番しっくりくるのではないかと思います。では、タッチを接触に置き換えてみましょう。


『Suicaを接触してください』


もはや日本語としてバリバリ違和感が出てきますが、日本語として自然かどうかは一旦置いておきます。


その上で、これは…どうでしょうか?


ここに来て、私は少し迷ってしまいました。


「Suicaを接触してください」だと「Suicaに触る」という意味合いが大分薄くなったように感じませんか?

これを言われたら多くの人が「Suicaを?何に接触すればいいの?」という疑問を浮かべるような気がします。


となると、ここまで散々色々と書いてきましたが、

もしかして「Suicaをタッチしてください」って…文法的に合ってる??(愕然)


いえいえ、そんなことはありません。

ここまで来たからには、そう簡単に頭を垂れるわけにはいかないのです。

(意地ではありませんw)


「Suicaを破壊してください」の時には明らかにSuica自身が破壊の対象になっていましたが、「接触」で考えた場合、Suica自身が接触の対象になるような印象はかなり薄くなります。これは何故か。


私は「破壊」と「接触」という言葉の能動性の違いに要因があると思っています。


「破壊」という言葉はその言葉自身に2つの登場人物の存在を内包しているのだと思います。

つまり「破壊」という名詞そのものが「誰かが何かを破壊する」というように、破壊するモノと破壊されるモノの2つの登場人物の存在を想起させている、ということです。「破壊」というものは登場人物無くして自然に起きる事象ではないということです。(自然に起きる場合は「崩壊」などが適切)

一方で「接触」という言葉はどうでしょうか。「接触」は「破壊」ほど登場人物を限定しません。これは「接触」そのものが行動を表す言葉ではなく、状況を表す言葉であるからだと思います。そのシーンで行動を起こしている登場人物が存在しなくても「接触」は状況として成り立ちます。

動詞でいうと自動詞と他動詞の違いみたいな感じでしょうか。


つまり、

『〇〇を「名詞 +して」ください』

という文の型は名詞自体が持つ能動性によってその意味が変わる文である、と言えるのではないでしょうか。

(〇〇に入る言葉が「壁」のように一般的に動かせないモノだと話は変わるのですが、それは一旦置いておいて、Suicaのように人の意思で動かせるモノを想定してみてください)


一旦、そうだと仮定した場合に、「タッチ」と「接触」の能動性は同じでしょうか?


私の感覚で言うと「タッチ」は行動を示す名詞であり、状況を示す名詞ではないと思っているので、「接触」という言葉は必ずしも「タッチ」とイコールではないと言うこともできます。つまり、「タッチ」の方が「接触」よりも能動性が高い名詞であるということです。


復習のようですが、能動性の高い名詞の場合、『〇〇を「名詞 +して」ください』という文は〇〇の部分が名詞の対象になりますね。『Suicaを破壊してください』と同じ要領です。


つまり、上記のロジックだと「Suicaをタッチしてください」は「Suicaに触る」という意味になります。


ここまで話をすると、そもそも何故「タッチ」を「接触」に置き換える例を出したのか、という疑問を抱く方もいると思います。当然の疑問ですが、答えは簡単です。


「タッチ」の能動性を有した「接触」に類する日本語の名詞が無かったからです。(あくまで私が調べた限りでは)


長々と書いておきながら、外来語を正確に日本語に置き換えることは結構難しいのだなぁという当たり前の感想に行き着いたりするわけですが、ここまで書いておいて結論を出さないわけにもいきません。


「タッチ」を正確に日本語の名詞に置き換えることが困難であるとした場合、「タッチ」をそのままカタカナ語(≒日本語)として捉えるのが妥当であろうと思います。

ただし、その場合、おそらく外来語は元来の日本語ほど意味合いが明確に定義されていないので、大枠の意味に関してはともかく、言葉の能動性などの細かい部分に関しての受け取り方は人それぞれになりそうです。


よって、この話の最終的な結論としては

「タッチ」を能動的な(行動を表す)名詞と捉えるのであれば「Suicaで」が適切。

「タッチ」を自動的な(状況を表す)名詞と捉えるのであれば「Suicaを」もOK。

となるのではないかと思います。


個人的には「タッチ」は能動的な行動を表す名詞だと感じるので、やはり「Suicaで」が適切なように思います。


そもそも最初から「Suicaで」にすればどの場合でも意味は1つになると思うんですけどね。

という捨て台詞で今回の話はお終いですw


最後まで読んでいただいた奇特な方がいれば、ご意見寄せていただけると勉強になります。










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