恵まれているという言葉について思うことをつらつら書いてみた。
例えば、これまでに、私自身が「恵まれて来た」と表現できること、(例えば言葉が喋れることや住む家があったこと、現在仲の良い母親がいることなど)は、どこかの誰かにとって、どんなに望んでも、どんなに必要としても、得ることのできなかったもの、体験することの出来なかったことであったりすることがある。
また、私がどんなに望んでも、どうしても得ることのできなかったものや出来なかったことは、どこかの誰かは当たり前のように体験していたり、手に入れているものであったりすることもある。
私も、自分で自分を恵まれていると思うこところが色々あるのですが、恵まれているという言葉が使われるときに、「私は恵まれている」と外に向けて言うことで、同時に周囲の誰かに、「私は恵まれていない」と感じさせることがあるのをよく感じます。
また、なんとなく、恵まれるという言葉の中には、恵みを与えてくれている存在を匂わせるものがあり、恵みとは、なにか上から与えられているものというような感じがこの言葉の中にはあるように思います。
「私は恵まれている」、とよく言う人の中には、「神様が私に恵みを与えてくれている」「私は神様から恵まれる素質のある人間だから様々なことに恵まれているのです」と言っているような人もたまに見かけることもあります。
「恵まれている人」から「恵まれていない人」を見るとき、何かとても上からな雰囲気があったり、優劣で見たり、上に立つ感じがあるように感じられることもあるような気がします。
あなたは恵まれているから良いよね、と言われる事もあるけど……。
自分が人に何か思い込まれたりして、羨まれたり、やっかまれているときや、あなたは良いわねと言われそうなとき、私は相手に言われる前に、自分で自分のことを、私は恵まれているよね。と先に自分で言ったりすることがありました。
でも最近は、恵まれているとか恵まれていないとかいう言葉は、色んな立場の人のことも考えたりして、とくに使わないようになっています。
私は自分が恵まれていると思うとき、いつも、恵まれていない人のことが思い浮かびます。
自分になにか恵まれてるような、良いことがあっても、それを良かったとは思うけど、それだけではないというか、単純に自分一人が恵まれて良かったとだけ思いきれないところがあります。(自分のことに関してであって、人のことに関しては良かったねと単純に思うことが殆どなのですが。)
恵まれているという言葉が人や自分に対して使われるとき、
その言葉の周りで、
「あなたは恵まれてるからいいよね。」
「私は恵まれる素質があるから、そういう生まれだから恵まれている。」
「恵まれない人はそういう生まれや性質だから恵まれないのだ。」
「私は神様からたくさん恵まれている人間だ。」
「本当はこんなに色々あって大変なのに、それでもこうして自分は恵まれていると言っている私。私は素晴らしい。」
「恵まれてるから、何?」
「だから何?自慢なの?」
「なぜ私は恵まれてないの?」
「うらやましい。」
「すでに恵まれていると思えば、恵みが引き寄せられるのだ。」
「現状に感謝しないから恵まれないのだ」
などなど、その時々、人それぞれ、様々な思想や思いが見え隠れしたり、伝わってくることがあります。
そして、少なからず見かけるもので、こういうたぐいのものを見かけることがありますが、、
「恵まれてない人は、本当は恵まれていないのではなく、恵まれてないこと(悲惨な体験をするという貴重で価値ある経験)に恵まれているのだ。それは生まれる前に魂が求めて決めてきたこと。この世(宇宙)には恵みしかない。いいことも悪いことも全て恵みである」というようなことを言う人たちもいたりします。
私は個人的には、このような言葉は宗教的、教祖様的傾向のある言葉のように思います。
そんなことを言って、言ってる側は分かった気になれて満足だろうけど、例えば暴力の加害者には都合が良すぎるし、それを伝えて、一体何になるんだろうと思います。
そういう、本当にそれが真実かどうか誰も確かめようもないこと、物事への一つの解釈や思想にすぎないものであることであったり、酷い暴力の加害者にとってひたすら都合がよく、被害者にとっては二次加害となる場合があるような思想だと思う。
中には、そういうたぐいの、なにかを分かったように言う誰かの言葉を利用して、相手と同じ体験もないのに、自分が当事者の上に立つようにして、悲惨な体験をした人に対してわざわざ伝える人もいますが、それは相手に対する思いやりや、謙虚さや尊重する心が欠けていることのように思います。
こうした思想がひろまったり、こうした言葉をかけられることで、(平気な人も居るかもしれませんが)中には死に向かうほど嫌な思いをしたり、絶望する人もいるように思います。
私もこれまでに何度も似た思想の人の言葉や、暴力の加害者にとってひたすらに都合がいい傾向の強くあるような思想を持つ人達に囲まれて、間接的に見聞きする言葉だけでも、とても辛い思いをしたり、この世で生きていけない感じがしたり、立て続けにげんなりしてきた体験があります。
私の姉は自死しましたが、姉も暴力被害の体験があり、そうした宗教的な感じのある思想やそれを正しいように言う人たちが嫌いでした。一つ覚えのような分かったようなことを言うスピ系の方々も嫌いでした。(スピ系の方の中にも色々かと思いますが)
私も姉も、子供の頃から性暴力の被害に何度もあってきました。父親から受けた被害もあります。
たとえ相手の人と同じような体験があったとしても、人の体験に関して勝手になにかを決めるようなことを言うのは余分なことのように感じるし、思想の押し付けになると思うので、とても良くないと私は思っています。
人それぞれ、好きな言葉や嫌いな言葉があって、それは面白いことだし、自分のことをどう思うのかは、その人の自由です。
恵まれてると言うことも、(今回は私の思うことを書きましたが)それは好きにしていいことで、悪いことではないと思います。
私は私、人は人、なのですが、私と同じように感じる人がもしいたら、私は出会ってみたくて、ここに書いてることが正しいわけでも何でもありませんが、今回は個人的に色々嫌だなと思うことを書いてみました🌿
私は文章を書くのは苦手な方で、上手く表現できなかったり、読みにくいところがあると思います。乱文失礼致しました。🙇
ここまでお読みくださった方、ありがとうございます。☺️
ではまた🕊️
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?