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「日本一」より「日本初」 〜開店から一年によせて〜

本日のちょうど一年前、2019年11月6日に神保町にて人と羊は営業を始めました。
あれから丸一年となりましたが、5月以降は週1回のみで実動9ヶ月ほどですし、今かろうじて命脈を保っているのはねいろ屋に依存している部分が大きいので、「1周年」と呼ぶのはおこがましく思います。
正式な移転先で1年経って「1周年」と呼ぶのが正確でしょうから、もしお祝いのお言葉を贈られるのであれば真の1周年の日まで取っておいてください。

何はともあれ何とか1年生き延びました。皆様ありがとうございます。
実動9ヶ月ほどとはいえこの1年は「人と羊」として24時間、羊でラーメンを作ることを考えながら生きた365日でした。その結果できたものを皆様にお求めいただいたことが無上の喜びでしたし、直接的に「助けられている」「生かされている」ことを実感し続けた1年でした。
それはこれからも続いていくことでしょう。皆様今後ともよろしくお願いいたします。

振り返りますと、誰にも表明してなかったのですが開店に際して密かに目標といいますか、ラーメン作りの一つのポリシーを立てていました。

「小さな"日本初"を積み重ねる」

ということです。

よく「日本一のラーメン屋になる」「あそこが日本一のラーメン屋だ」という人がいますが、何をもって日本一なのかさっぱりわかりません。たぶん言ってる本人もそこまで考えていないでしょう。
売上、純利益、客数、知名度、店舗数、従業員数、ミシュランやTRYなどのタイトル、などなど基準はいくつかありますが全てが日本一という店は存在しませんし、売上にしても1店舗あたりなのかグループ全体なのか、あるいはスタッフ1人あたりなのかいちメニューあたりなのかで変わってきますしで、どこが日本一なのかは決めようがないわけです。

ところが「日本初」がどこなのかははっきりわかります。
ネット以前ですと発祥が概ね曖昧でパクり放題、であったが故にご当地ラーメンご当地グルメは誕生したわけですが、ネット以降は記録が残ることで発祥が特定しやすくなりました。
半熟味玉や炭火炙りチャーシュー、昆布水つけ麺などの発祥の店はラーメン好きなら誰でも知ってますよね。

人と羊もそういった「日本初」を積み重ねていければ、と考えています。
ラム肉のコンソメ、サフラン味のスープ、ラムとスパイスのテリーヌ、羊脂の混ぜそばのつけ麺、などなどどんなニッチなことでも嘲笑われるようなことでもいいです。

今当たり前のように存在している数々のラーメンも元々は「日本初」のラーメンだったりします。
ただ時代がまだネットもなくオリジナリティへの配慮も生まれてなかった頃で、誰にも記録されることなく模倣され広まり数十年後「普通」になったわけです。

「日本初」が記録される時代だからこそ、小さな「日本初」を積み重ねていきたい。
小さな「日本初」を積み重ね続けていけば、いつかそのうち大きな「日本初」も手にするかもしれない。
その大きな「日本初」が未来の「普通」になるのでしょう。


これからも人と羊は「未来の普通」を目指して新しいラーメンを作っていきます。

店主の勉強代になります。何かしらのカタチで還元できると思いますので魔が差したらサポートおねがいします。