「魔の2歳児」って?

noteで子育てのことを振り返り始めたので、
今日は、昨日頭に浮かんだ「魔の2歳児」について。

子どもが生まれて、それまでの人生経験が何一つ活かせず、
太刀打ちできなくて無能感&自己否定感爆発!の、新生児期。

どうにかこうにか、赤ちゃんも自分も生き延びて、
赤ちゃんの身体がしっかりしてきて、泣く以外の反応が出てきて成長を感じられるようになって、
外出してみようかな?な気持ちになってきた、0歳児期。

寝返り!ハイハイ!つかまり立ち!から、
はじめの一歩!歩く!絵本を聴く!積み木を積む!と、
発育の早い遅いに一喜一憂が始まった、1歳児期。

長男は、今思えば、発育ゆっくりめ+のんびり屋+ビビリ屋で、
発育の基準に当てはめると’標準の最後あたり’に進むので、
周りの「うちの子すごい!」キラキラを浴びて不安と焦りがマックスになった頃に、ふと発育段階を登る、そんなパターンでした。

うん、あれは、私のための修行だったんだな。

他にも、名作絵本「いないいないばぁ」に、1歳過ぎても全く反応を示さない!は、今でも私の中で伝説です(笑)
そして、いろいろ「子どものため」やりたかった親子体操もリトミックも、
「みんなと同じことをしなくちゃの圧力」を感じると、そこから逃げたがる長男、
なのにそこにいなくちゃいけない幹事の私···
(誰も「私が代わりにやっとくよ!」は無かった💦)
かなーりシュールでした(笑)

そんなドタバタしつつも、どうにか子育てに慣れたと感じた頃にやってくる、「魔の2歳児期」!
当時知らなくて、非常勤とはいえ仕事に忙しくしてたので、
子どもが愛情不足でおかしくなった、私は母親失格!😢と感じて、
ますます自己嫌悪自己否定マックス!に😢

園に相談しても、「お母さんにゆとりがないから」と返ってきた日にゃ、仕事辞めないと私は子育てできないのか⤵と、更に落ち込みましたわ😢

もちろん、ママの気持ちのゆとりは大事!!
だけど、それはママ自身がその時心が求めていることを、ちょっとしたことでも実現させることから。
例えば、週末に1人でお出かけする時間を持つとか。

1人で自分でできることもあるかもだけど、
子ども1人育てるのに、1人の力では「無理!」と思って間違いなし!
なので、旦那さんはもちろん、実家でも自治体のシステムでも、力を借りることに何の後ろめたさを感じる必要は無し☆

ただし、感謝の気持ちと、大変な時期を過ぎたら「恩送り」誰かの力になろうとすることを、忘れずに(*^^*)

「魔の2歳児期」という言葉を知ったのは、
実際息子が「突然乱暴になって困った!」になってから。
先に知りたかったわ、大切な成長段階なんだ、って!

で、知ったら知ったで、知識は半端なので、
どうにか「良い子」に戻そう、戻そう!と必死。
コントロールできるのが「良い子」「良い母」神話?に、苛まれてたわけです。

んなことしたら、子どもは当然、もっと反抗的にアクティブになるわけで。
ではなくて、向こうからは言葉の表現はまだ少なくても、
こちらの言葉は理解が始まってるし、内省的な思考も始まってるので、
必要なのは子どもの立場に寄り添った「対話」なんですよね(*^^*)

それに!
「魔の2歳児」という表現も、近代日本、アメリカから輸入された概念?

きっと江戸時代までの日本もそうだった!と合点がいった記述を読んでから、
目からウロコ、認識が180度変わりました!

それは、発展途上国に「魔の2歳児」について調査に入った大学の先生のお話し。
(どなたか忘れてしまったので、エビデンスまでまた辿り着けると良いなぁ!)

なんと、「そんな概念がない」という結果に!
もちろん、子どもがアクティブになり、まだ自分で自分の世話はできないにも関わらず、あちこち1人で行ってしまう時期には変わりなく。
違うのは「環境」、大人の私達なんです!

つまりは、「朝起きて、ご飯食べたら、そのへんプラプラ出かけて、近所のどこかでお昼ご飯食べさせてもらって、夕方帰ってくるよ」的な返答だったと。

もちろんその代わり、いろいろ事故や事件も起きる可能性も高まるのでしょうが、
少なくとも「子ども自身」は、自分の成長に合わせて自由に行動できるので、
フラストレーションが溜まって「反抗」する必要もないので、
「魔の2歳児」って概念もないですよね。

なのでその先生は、「ブラブラ期」と名称を変えよう!と提唱されてました。

それ読んでから、魔の2歳児期(早くて1歳半頃からですよね)のお子さんを見る度に、
「あ〜、自由にブラブラしたい、何でも自分でやりたい、ブラブラ期だよね〜」♡
自立への第一歩!
と考えると、子どもの見方が変わりませんか?

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