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ジャガイモが動かす世界 ~アンデスから月面まで~

ジャガタラのイモ、略してジャガイモ!
庶民の味方、ジャガイモは
江戸時代前後に日本へやって来ました。

出身はアンデス、南アメリカ。
経由はジャガタラ、今のジャカルタ。

…しかしカボチャやサツマイモと違い、
淡泊な味のジャガイモ栽培は
江戸時代の日本ではそこまで広がりません。
本格的に栽培されたのは、明治時代です。

「いも判官」とも呼ばれた
湯地定基(ゆちさだもと)は
クラーク博士の下で農業を学び、
北海道のジャガイモ栽培の礎を築きます。

後に川田達吉が多数の種イモを仕入れる。
彼は男爵でしたので、
「男爵いも」として定着しました。

「メイクイーン」は五月の女王、
春に美味しくなる品種です。
武骨な男爵いもよりもスマートな形で、
まさに気品があります。

…しかし、ジャガイモが普及したのは
日本だけでは、ない。

寒冷な土地でも採れる。
一年に複数回採れる。
土中にあるので鳥害も受けない。
栄養分も豊富。
ジャガイモは、世界の
多くの人々を救ってきたのです。


本記事ではジャガイモのお話を書きます。

アンデス山脈、ペルーとボリビアの間に
「チチカカ湖」という湖があります。
このあたりがジャガイモの原産地。

アンデスの「インカ帝国」では、
トウモロコシとともに
ジャガイモが食を支えた、と言われます。

…しかしジャガイモには欠点があった。
「毒」があるんです。
特に、芽や緑色の皮は危険。
ソラニンという神経毒が含まれ、
中毒、嘔吐、幻覚等を引き起こす。
品種改良を重ねた今のものとは異なり、
昔のジャガイモは毒性も強かった…。

この毒素を抜いたイモの保存食が
「チューニョ」でした。

いわば乾燥ポテト。高野豆腐のイモ版!
冬にジャガイモを地上に並べて放置する。
夜に凍る。昼には溶ける。
これを繰り返した柔らかいイモを
足で踏んで水分を絞り、乾燥させる。
こうして「毒抜き」をしたんです。
インカの民の貴重な食糧だった。

…このジャガイモが世界に広がる!
栄養が豊富なので壊血病を防ぐ、
備蓄もできる、として
船乗りたちに好評だった。
西欧の拡大を、スーパーフードの
ジャガイモが支えることになります。

インカ帝国を滅ぼしたスペインは、
東南アジアに手を伸ばしました。
今のフィリピンです。
スペインから独立したオランダも、
今のインドネシアに勢力を持つ。
ジャガタラ(ジャカルタ)から
日本にも伝わり「ジャガイモ」になる…。

では、ヨーロッパでは?

すぐには広がらなかった。
イモは熱帯の植物。馴染みが無い。
「これ、食べ物…?」と最初は敬遠された。

聖書にも書かれていなかった。
「神は種子で増える植物を創った」と説く。
しかし、ジャガイモは種イモから育ちます。
怪しい食べ物だったんです。

ましてや毒がある。
英国の女王、エリザベス一世は
ジャガイモの良さを知ってもらおうと
パーティーを開催しますが、何と
自分自身が中毒を起こしてしまう。
毒抜きが十分ではなかった。
ゆえにイギリスでは普及が遅れる…。

また、ゴツゴツとした外見から、
「食べると病気になる、かも」という
デマまで広がってしまいます。

怪しい、毒を持つ、病気。『悪魔の植物』!

そんなレッテルが貼られてしまう。
なかなか食材として普及しない。
当時のヨーロッパは魔女狩りも盛んでした。
ジャガイモは審問で有罪とされ、
火刑に処されたこともあった。
さぞや美味しそうな匂いが漂ったでしょう。

その迷妄?を打ち破ったのが、
プロイセン国王、フリードリヒ二世です。

「ジャガイモ普及キャンペーン」を打った。
軍隊にわざとジャガイモ畑を守らせる。
農民に時には無理やり栽培させる。
彼の努力が実を結び、ドイツでは
比較的早くにジャガイモが普及します。

…この意味は非常に大きい。

ヨーロッパでは牧畜が盛んです。
しかし冬の間は草が無くなる。
牧畜しようにもできなかった。
でもジャガイモなら保存が効きます。
豚にも冬の間に食べさせられる。
一年中家畜が飼えるようになる。

ドイツで「ジャーマンポテト」など、
肉とイモとの組み合わせが発達したのも
ジャガイモが普及したから、なんですね。
プロイセンの強国化を支えた。

…さて、このプロイセンとの七年戦争で
捕虜になったフランス人がいます。
その名もパルマンティエ
彼は捕虜の間、来る日も来る日も
ジャガイモを食べさせられた。

「…この味、フランスでも広めたい」

彼は帰国後、国王ルイ16世に提案。
「ジャガイモ食べようキャンペーン」
展開します。

王妃マリー・アントワネットに、
わざとジャガイモの花の飾りをつけさせた。
貴族たちはこぞってジャガイモを栽培します。

また、ジャガイモ畑をこれ見よがしにつくり、
「これは王様が食べる凄い食べ物だ、
近寄るな!」とお触れを出す。
ルパン三世ではありませんが、
禁じられると突破したくなるのが人間。
深夜のジャガイモ泥棒が続出…。

ジャガイモの美味しさが広まります。
策士、パルマンティエの名は
フランスのジャガイモ料理
「アッシ・パルマンティエ」
などに残っています。

ドイツ、フランスで広まった。
ついにはイギリスや
アイルランドなどにも広がる。

…ですが、このアイルランドで
とんでもない事件が起こります。
人呼んで「ジャガイモ飢饉」

当時のアイルランドは、
ロンドン中心のグレートブリテン島に
支配されていました。
食糧をジャガイモに依存していた。

1845年、このジャガイモが疫病により
ほとんど枯れてしまったんですね。
大飢饉!
栄養不足と病気のため、
総死者数約百万人とも言われる
大惨事になってしまいます。

「ここでは暮らしていけない!」と
アイルランドからアメリカなどへの
移民が激増しました。


その中の一人に、
パトリック・ケネディという男がいた。
彼の子どもは上院議員に。
孫は投資家となって財産を築く。
さらにその子どもがJ・F・ケネディ
彼は大統領となり「アポロ計画」を推進、
1969年、人類を月にまで到達させた。

…その源流がジャガイモ飢饉なら、
まさにジャガイモは世界を巡り巡って
人類を宇宙にまで到達させた…

言えるのかもしれません。

最後にまとめます。

本記事では、ジャガイモが動かした
世界を書いてみました。

アメリカ発のマクドナルドでは、
今でも世界各地で毎日膨大な数の
ポテトが揚げられています。

日本でも昔の海軍がカレーを採用。
栄養豊富なジャガイモが入れられた。
日本風の味付けにするべく醤油と砂糖で
ジャガイモの肉煮込みもつくられる…。
これが「肉じゃが」の由来だ、
という説もあります(諸説あります)。
今では家庭料理の定番。

アンデス生まれのジャガイモが
世界中でかけがえのない食材になった。
米・麦・トウモロコシに次ぐ、
第4位の農作物。

読者の皆様も、今日のご飯に
ジャガイモ料理はいかがでしょうか?
タサン志麻さんのレシピはこちらから↓

※もう少し詳しい
「ジャガイモの由来と歴史」はこちら↓

※とんねるずさんの歌
『がじゃいも』の歌詞はこちらから
(作詞は秋元康さんです)↓

※ドイツの歴史と地理はこちら↓
『47の日本、16のドイツ』

※ジャカルタ(昔のジャガタラ、バタヴィア)
があるインドネシアの
首都移転問題はこちらの記事をぜひ↓

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