キャリアの呼称と錯覚の歴史
キャリアとは、いかにも新しい概念です。
日本に生きる人にとっては。
長い間、日本で「キャリア」という言葉は、
「国家公務員」(特に高級官僚)の
意味で使われていました。
中年世代以降の方にとっては、
『踊る大捜査線』において
織田裕二さん演ずる青島刑事が、
柳葉敏郎さん演ずる室井さんたちを指して
「キャリアのお偉いさんだから…」と
呼んでいたような記憶が
あるのではないでしょうか?
などの名台詞のイメージとともに、
キャリア=お偉いさん=エリートなどの
印象が強いのかもしれない。
しかし、時代は変わりました。
今の子どもたちにとっては
キャリア=国家公務員(高級官僚)
というイメージは少ないかもしれない。
そもそも『踊る大捜査線』を
リアルタイムでは見ていません。
レインボーブリッジを封鎖した
有名な映画でも、悪い犯人役は
「リーダーのいない対等で柔軟な集団」。
今ではむしろそういう組織のほうが、
ピラミッド式で上意下達の組織よりも
好ましい、とされる風潮がある。
学校でも「キャリア教育」を行っている。
そのため、
キャリア=轍、道、生き様、という
欧米などで本来使われている意味として
捉えられていることが多いと思われます。
(詳しく言えばcareerという英語は
カ「リ」ア、でリにアクセントの発音ですが
本記事ではキャリアと表記します)↓
前置きが、長くなりました。
本記事では日本における
キャリアの呼称と錯覚の歴史について
私なりに書いてみます。
…そもそも、なぜ日本では
キャリア=お偉いさん=エリート
というイメージで使われてきたのか?
それは、明治時代以降の
「高等文官試験」に由来します。
江戸時代から明治時代に変わり
「近代的な国家建設」を行うにあたって、
近代的な法律に基づく行政や司法を
行うことが不可欠になりました。
となると「資格」を持った人が必要。
適当な人を無試験で任じるのは、危険。
そこで難しい試験を突破した人に、
特に専門的な職務を任じた。
「高等文官(高等官)」と呼びます。
中等とか初級もあったのか?
…あったんです。
明治憲法下においては、
官公庁に勤める人(公務員)の間でも
上下の差が「明確に」分かれていました。
例えば、
「高等官」「判任官」「等外吏・附属吏」。
※注:時代によって呼称は変わります。
高等官は、いわゆるエリート。
『踊る大捜査線』的に言えばキャリアです。
判任官は、その下で働く人。
『踊る大捜査線』的に言えばノンキャリア。
等外吏は、門番や作業員など。
この制度は、明治憲法で参考にした
ドイツ帝国の公務員採用制度を
参考にして作られました。
厳然たるピラミッド型の上意下達制度!
官僚界の新しい身分制度、と言ってもいい。
…さて「戦後」になりますと
日本は憲法を変えます。
敗戦したドイツ流の国家公務員制度も
改革しておこうとGHQが動く。
しかし各省の猛烈な抵抗に遭う。
公務員制度改革は、不徹底に終わります。
「高等文官(高等官)」という名前は
「国家上級」から「国家Ⅰ種」という
名称に変わりましたけれども、
内実の採用制度と昇進制度は変わらない…。
この中で、制度上廃止された高等官は、
「(上に登れる)資格者」と呼ばれ、
それがアメリカ流の欧米化により
「キャリア」と呼ばれるようになって、
「偉い役人」=キャリアと
俗称で呼ばれるようになった。
だから『踊る大捜査線』の中では、
年配の署長たち(スリーアミーゴス)が
若い室井さんたち、つまり
「将来が有望なキャリア」たちに
へこへことおもねっていますよね。
キャリア、高級官僚の世界では、
偉い人はとにかく偉い。身分が違う。
…さて、ここまでで、日本における
「キャリア=高級官僚」の
呼び名の変遷を追ってみました。
何が紛らわしいのか、と言えば、
「キャリア=自分の生きる道」のような
本来の使い方のキャリアの意味と、
この俗称の「高級官僚のキャリア」とが、
同じ「キャリア」というカタカナ英語で
表記されていること。
高級官僚のほうは厳然たる
上下のピラミッド型のキャリア!
キャリア教育などのキャリアは
対等のジグソーパズル型のキャリア!
全く違います。真逆だ…!
なのに、日本独特の
出世するため上に上り詰める、
一つ一つ積み上げていく、的な
ピラミッド型のイメージが
キャリアとして先行したがゆえに、
特に(私も含めて)中年世代以上の方は
『(事件は)現場で起きてるんだ!』
という青島刑事のセリフとともに、
キャリア=限られた偉い人の話で、
現場で生きる私たちは
その「与えられた場所」で一生懸命
「仕事をしていればいい」、
キャリア、自分の道や生き様は
そんなに考えなくていいと身分制度的な
「錯覚」をしてきたのではないか?
時代背景もありました。
高度経済成長~バブル経済崩壊までは
「一社専従」「終身雇用」が
スタンダード。日本国内にとっては。
昭和元禄…!
その中で、キャリアはピラミッド型。
仕事を頑張ってい「さえすれば」
「自然に」昇給して、昇進していく…。
会社の業績も「自動的に」伸びていく…。
そんな「錯覚」を多くの人が持っていた。
お偉いさんは「キャリア」を
考えなければいけないが、
「現場」の人には、そんなに関係ない…。
そんな錯覚のまま、バブル経済崩壊、
山一証券倒産、しっちゃかめっちゃかの
「失われた〇〇年」
「IT革命」「SNSの隆盛」など、
怒涛の展開に、なし崩し的に突入。
学校ではキャリア教育が導入されましたが、
実社会では「ピラミッド型のキャリア」が
官僚界を中心に維持されていた。
でも急速にその社会や組織のピラミッドも
解体されている…。(民間では)
対等が原則の、SNSも普及。
気づいた人と気づかない人との
認識的な格差がどんどん広がっていく…。
それが戦後~平成~令和における
「キャリアの錯覚」の
概略史ではないでしょうか?
最後にまとめます。
本記事では日本における
キャリアの呼称と錯覚の歴史について
私なりに書いてみました。
今では大企業や高級官僚の世界などの
一部の組織を除き、
いわゆる「ピラミッド型のキャリア」は
だいぶ消失しています。
しかしその錯覚の亜種はまだ
各社、各地に根強く残っておりまして、
(地域差もあります)
「本来の『人生、道』の意味のキャリア」
(カ「リ」ア)の普及を
阻害しているように思うのです。
少なくとも『踊る大捜査線』の
記憶を持つ中年世代以降の人たちが
多数派を占める組織や地域(家庭)では…。
(誤解を招かぬよう蛇足で書きますが、
私は『踊る…』をdisりたいのではなく、
この錯覚の実相を
対比的・皮肉的に「見せる化」した
優れた作品だと思っています。
また、中年世代以降であっても
錯覚を持たない人も多数いらっしゃいます)
さて、読者の皆様の組織や地域では、
いかがでしょうか?
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