好きの「見せる化」~オタクの60年史より~
時に畏敬、時に恐怖される「〇〇愛好者」!
異様なほど何かの分野が好きで
詳しい「マニア」や「オタク」!
…彼らはここ約60年の日本で
いかなる道を歩んだのか?
その略史を書いたのが本記事です。
読者の皆様は、
〇〇趣味、〇〇マニア、〇〇ファン、〇〇オタ、
何か好きなこと、詳しいことは、ありますか?
…人それぞれ千差万別、様々にあると思います。
深さも浅さも色々。
カミングアウトするかどうかも自由。
「同好の士」がいるかどうかも
また人によって異なりますよね。
例えば私は『歴史と地理』がいささか好きで
自分だけの愛好を飛び越えて
SNSで記事を発信してしまうほどですが
これは、比較的、言いやすい。
なぜなら、ほぼ全員、学校の授業で
歴史と地理に触れたことがあるからです。
これとは逆に、あまりにも細かい分野を
愛好していることは言いにくい。
なぜなら、相手がどこまで好きなのか、
知っているかいないか、わからないから。
ドン引きしてしまうのでは?という
「心理的ストッパー」が働く。
再び私の例で行けば
『大河ドラマ』がすごく好きなんですが、
「『秀吉』の黒田官兵衛は伊武雅刀さんで
『軍師官兵衛』だと岡田准一さんなんです」
「そう言えば『北条時宗』のOP曲、
一度聴いたら耳から離れません!」など
どうでもいい知識を語り過ぎてしまうと、
相手が内心で引くのがわかるので、
自重(自嘲)します(時々、漏れますが…)。
みんなが知っていることは、話しやすい。
みんなが知らないことは、話しにくい。
これまた当然。
逆に言えば「同じくらい詳しい人」同士だと
ウルトラソウルが共鳴し合うレベルで
大盛り上がり。
すみません、前置きが長くなりました。
60年史について。
この四つに分けて、順に書きます。
「オタ文化」の代表的存在の
「アニメ」を主な題材にします。
≪①1960年~70年代:高度経済成長~安定成長期≫
徐々に日本が豊かになった時代。
この時代はまたサブカルチャーの
一大転換が起こった時代です。
子ども向けと思われていた「アニメ」が、
1977年公開の映画『宇宙戦艦ヤマト』で
大人の鑑賞にも耐えうる作品として
世の中に出てきた。
1975年に「コミックマーケット」開始。
1976年に最初のアニメ雑誌『OUT』創刊。
いわゆるビジネスとして成り立つレベルで
〇〇マニアが増えていった時代。
でも最初はニッチでした。
市民権は得ていません。
『ドラえもん』に出てくる空き地があり、
ジャイアン的なガキ大将がいた60年代…。
そこでマニアは「〇〇博士」と呼ばれ
畏敬の念を持たれていたかもしれない。
しかしこれが70年代になると、
放課後は塾、家庭では子供部屋。
子どもの居場所が、狭くなります。
70年代は「乱塾時代」!
次第に「〇〇博士」は自室に籠るようになる。
世の中から見えなくなった。
「偏差値ヒエラルキー」などが
ガチッと固まっていく時代です。
自分だけが詳しい。でも、
周りとは話が合わない…。
受験にも役に立たない…?
行き場を失ったマニア感情!
このはけ口の一つとして、
『ヤマト』や『コミケ』『アニメ雑誌』などが
生まれた、という背景がある。
≪②1980年代:バブル経済期≫
80年代に
「オタク(おたく)」という言葉が爆誕!
しかしこれは、現在のような
市民権を得たものではありません。
先述した70年代の背景もあり、
サブカルがおそるおそる
「闇から太陽の下に出てきた」ような
『妖怪人間ベム』的なニュアンスがある。
1985年にスタジオジブリ設立からの
「宮崎アニメ」の大ヒット!
「ファミコン」によるゲームの浸透!
ビジネス的には裾野がどんどん広がって
いったにもかかわらず、です。
この「悪いイメージ」は、やはり
1989年の「東京・埼玉連続幼女誘拐事件」
からではないか?
犯人の宮崎勤が「オタクだった」と報道され、
有害コミック騒動が勃発。
「オタク=危険」のイメージが、定着します。
「世の中に有用ではない」何かに
偏執的に詳しい者は、何かをしでかす…。
魔女狩りに似た「オタク受難」時代の開始!
≪③1990年~2010年代:バブル崩壊後≫
90年代には「宅八郎」という
強烈に「オタク」を「見せる化」した人が
テレビに出てきました。
長髪に銀縁メガネ、
マジックハンドとフィギュア、
紙の手提げ袋を持つ、という徹底ぶり!
もちろんこれは「TV的な演技」でしょうが
お茶の間に「オタク=気持ち悪い」という
イメージを振りまきました。
1995年、オウム真理教の地下鉄サリン事件!
これも「よくわからない異形の専門家集団」が
やらかした事件…。
しかしその一方、1995年からテレビで
『新世紀エヴァンゲリオン』がブームに。
『宮崎アニメ=ジブリ映画』も国民的ヒット!
少しずつですが「オタク」が
社会に受け入れられる素地が育っていきます。
(庵野秀明監督も、宮崎駿監督も、
生粋のオタクですよね)
2000年代に入ると、イメージが好転する。
IT革命、ネットの隆盛。
「オタク」の「生態」が、徐々に、
世の中に知られていくようになるんです。
知られていないから、気持ち悪いんです。
排他的だから、嫌われる。
知られてみて友好的になると
なんだそうなのか、と親しまれるもの…。
2002年に漫画『げんしけん』連載開始。
2005年に『電車男』ドラマ化。
オタクを前面に出した
「新・ブログの女王」中川翔子さんや
「かっこいいオタク」西川貴教さんも登場。
徐々に「オタクでもいいよね!」
という空気になっていきます。
2010年代のSNSの発達も、
「好き」を表現する場になりました。
≪④2020年代:最近≫
こうした「大衆化→闇落ち→受難→公認」
という変遷を経て、今に至っている。
2022年には「お魚オタク」の
『さかなクン』の半生を描いた
映画『さかなのこ』も公開されました。
やっぱりすごい!と言われている。
そう、今では
「何かに異様に詳しいこと」は
逆にもてはやされる存在に…!
80年代、90年代あたりの「魔女狩り」
「早く人間になりたい」的な空気を
知っている中年世代から見れば、
まさに隔世の感がある。
今の若いオタクの人たちは
のびのびと好きを謳歌している。
寒い時代から、いい時代になりました。
最後にまとめましょう。
本記事では「オタクの60年史」を
まとめてみました。
…読者の皆様は、いかがでしょうか?
自分の「好き」を謳歌していますか?
例えばSNSで発信してみれば、
「同好の士」が見つかるかもしれません。
好きの「見せる化」が、問われる時代です。
さかなクンは、魚の帽子をかぶっています。
あなたの「好き」は、何ですか?
どんな帽子を、かぶっていますか?
※「1960年代」に時代に先駆けて
大塚康生さん、高畑勲さん、宮崎駿さんたちが
作り上げたアニメ映画、
『太陽の王子 ホルスの大冒険』については
こちらの記事を↓
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