ピラミッドか、ジグソーか?
積み重ねた上下固定か、組み合わせた平面柔軟か?
①ピラミッド と ②ジグソー という比喩を使い、
その対照で考える、という方法は
なかなかに「使える」思考のツールだと思います。
①は積み重ね、固定、上意下達、序列固定。
②は組み替え、柔軟、行動自由、フラット。
①ピラミッドは、かっちりがちがちで、
②ジグソーは、凸凹に合わせフリー。
…これらを前提とした場合、
「個人」の「キャリア」レベルで言えば、
柔軟に要素を組み合わせていくような
②キャリアジグソー のほうがいいでしょう。
しかし「組織」の「人事」レベルで言えば、
一長一短がありますので
①人事ピラミッド ②人事ジグソー
それぞれの組織の特徴をとらえたほうがいい。
本記事は、この二つの対比について。
もう少し大きな枠で考えてみます。
「歴史」「地理」の視点から。
歴史的には、主に①②どちらのイメージで
社会全体は動いてきたのでしょうか?
日本社会だけを見ますと、
おおまかには、こういう
A→B→Cを経ているでしょうか。
今は、BからCへの移行期、混合期です。
Aは太古の昔のイメージ。
狩猟・採集のような原始時代、縄文時代。
個々人が「生きるために」自然と向き合い
自由に活動していた。
ここでいう自由とは、弱肉強食でもあり、
身体を損なえば、容赦なく死んでいました。
Bは弥生時代あたりからバブル経済の頃まで。
稲作が始まって、「むら」や「くに」ができ、
ピラミッド型の支配体制が作られていく。
「国家総動員」の戦中時代は、その極みです。
戦後は憲法で人権なども公に認められますが
「カイシャ」がとってかわって
ピラミッド型の経済体制を作っていきます。
ただ、家族ぐるみ、地域ぐるみ、国ぐるみの
護送船団方式という一面もありますので、
「みんなで一致団結、がんばろう!」的な
社会的弱者に優しい一面もありました。
Cはバブル崩壊・ネットSNS発達以後。
現代では「個々人」単位で
「情報」を比較的自由に扱うことができ、
ピラミッド型の社会・組織から
ジグソー型のフラット・柔軟な活動が
しやすくなっています。
その一方、言葉は悪いですが「情弱」の人は
どんどん時代から、置いていかれる。
「情弱肉情強食」の時代です。
家族も核家族化・おひとりさまが増えて、
地域のつながりもピラミッドからジグソーへ。
ただし、これまでのピラミッド型の社会・組織も
厳然としてまだ存在していますので、
その混合的な社会、とも言えます。
一方、世界的にはどうでしょうか?
それこそ、千差万別ですよね。
Bスタイルの「人事ピラミッド」的な国家体制を
堅持している国もあれば、
すごくフラットで、すごくバラバラな、
「みんながんばれ自己責任」的な
仕組みを優先している国もある。
では、この歴史を踏まえて、今度は
現代の「地理」の視点で見てみましょう。
日本社会の中だけを見ても、
まさに千差万別、ですよね。
B的なピラミッド型の経済・社会を
がっちりと堅持している市町村もあれば
C的なジグソー型の経済・社会に
完全に移行している市町村もある。
単純にイメージだけで言えば、
地方=ピラミッド型農村、護送船団
都会=ジグソー型都市、弱肉強食
と言いたいところですけど、
いっけん都会に見えて
とても「閉鎖的」「封建的」な
がっちがちの「ムラ社会の都市」もあれば、
いっけん田舎に見えて
とても「開放的」「フラット」な
ばっらばらな「フリーダムな農村」もある。
一概には、言えない。
なお、これは、場所的な話だけではなく、
「業界地理」においても言えることです。
いっけん華やかな感じに見えて
とても「閉鎖的」「封建的」で、
がっちがちの「ムラ社会」「元請け下請け」
談合癒着共存共栄当たり前の業界もあれば、
いっけん地味な感じに見えて
とても「開放的」「フラット」で、
まるで全部の会社がピーターパンのような
ばっらばらな「フリーダム」に動き、
弱肉強食、実力社会が当たり前の業界もある。
…会社レベルまで細かく見てみれば、
それこそ無数に、千差万別の
カラー、カルチャーがあるわけです。
まとめます。
現代は、情報が「だだ洩れ」で、
色んな枠が溶け出している時代ですから、
ひとつひとつ「マッチング」をしていかないと
「個人」である自分に合わず、
「ミスマッチ」になる時代です。
離職率が、高くなってきている。
ジグソー的に言えば、凸凹を見極めて、
自分と組織があてはまっているかどうか、
それを考えていく。
個人的にも、組織的にも、歴史・地理的にも。
また個人と言ってもライフステージは
刻々と変化していき、
凸凹もどんどん変わっていきますから、
それぞれの状況に合わせて。
現在は、以前のようなピラミッド型が大半、
いったん積み重ねられれば、
抜け出すのは容易ではない、
終身雇用、終身ヒエラルキー、という
組織や地域ばかりではありません。
ピラミッドとジグソーが混在している時代。
だからこそ、
「ジグソーっぽい志向・思考の人」が
ピラミッド型の組織・地域にいると、
「おらこんなムラ、嫌だ!」
「もっと自由にさせてくれ!」
と、とてもストレスフルになりますし、
「ピラミッドっぽい志向・思考の人」が
ジグソーっぽい組織・地域にいると、
「ワンフォアオール、オールフォアワン!」
「みんな、まとまろうよ!」
と、叫びたくなると思われます。
そう、ミスマッチになってしまうのです。
繰り返しになりますが、
凸凹を確認して、折に触れて、都度、見極める。
個人的にも、組織的にも、歴史・地理的にも…。
それが大事です。
なぜなら、それが合わないと、
本当に、苦痛を感じますから。
ただもちろん、自分の凸凹を押し隠し、
平面直角四面体だと思い込み、
ピラミッドの中で思考停止して
がっちり収まる、という手も、なくはない。
階段は、一度登ってしまえば、快適ですから。
あれこれ考えることが苦痛な人もいますから。
…最後に、読者の皆様にお聞きします。
あなた個人の凸凹はどうですか?
あなたの組織の凸凹は?
あなたがいまいる地域・社会の凸凹は?
あなた個人はピラミッド・ジグソーどっち向き?
あなたの組織はピラミッド・ジグソーどちら?
あなたがいまいる地域・社会はどうですか?
これからどのように変わっていきますか?
それとも、変えずにそのままでいきますか?
我慢していませんか?
誰かのピラミッド/ジグソーに、
自分の凸凹をあてはめていきますか?
それとも自分で自分のピラミッド/ジグソーを
つくっていきますか?
どちらも、一長一短があります。
いいところどりさえ、できます。
それを選べるのが、現代だと思うのです。
◆本記事は以前に書いた記事を
リライトしたものです↓
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