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じねんや糸川 ~ロケットと音楽が吹き抜ける~

信州の上田、と言えば真田氏の拠点です。

戦国時代に活躍した真田昌幸や
真田信繁(幸村)たちの居城として
有名な「上田城」の城下町、ですね。
徳川家の軍勢を二度も退けたことで有名!

現在の上田市は、2006年に
旧上田市、丸子町、真田町、武石村が
市町村合併をして発足しました。

場所は、長野県の真ん中より少し北東です。
北には長野市、南には諏訪市、
東には軽井沢町、西には松本市。
まさに長野県の要衝…

街の真ん中には「千曲川」が流れています。
ちくまがわ。文字通り、何回も曲がりながら
長野県の山と山との間を流れていって、
新潟県、最後には日本海へと行きつく川。

新潟県域では、信濃から流れてくる、
ということで「信濃川」と呼ばれています。
「信濃川の上流部分」が、千曲川なのです。

…この千曲川と、南のほうから流れてきた
依田川(よだがわ)が合流するあたりに、
しなの鉄道の「大屋駅」があります。
上田駅から二つほど東隣の駅。

この大屋駅からさらに約1キロほど
南西に行ったところには小高い丘があり、
『信州国際音楽村』があります。
その近くに「じねんや糸川」という
古民家カフェがある…。

本記事では、この店にまつわる歴史を
紹介したい、と思います。

糸川。いとかわ。

「…千曲川や依田川とは別に、
糸川という川があるんですか?」

いえ、違います。
川の名前ではなく人名が由来。
糸川英夫(1912~1999)という方です。

「有名な方なんでしょうか…?」

ええ、その世界では超有名。人呼んで、
『日本の宇宙開発・ロケット開発の父』

「宇宙…。糸川…。イトカワ…?!
この人、もしかして!」

そうなんです。

2010年に「サンプルリターン」を果たして
地球に戻ってきた探査機『はやぶさ』
着陸した小惑星の「イトカワ」
その名前の由来にもなった学者さんです。
(注:はやぶさは大気圏突入時に
四散しましたが、カプセルは着陸した)

「しかし、なぜ長野県の上田市に
この方の名前が由来のカフェがあるんですか?
もしかして、糸川さんの出身地?」

彼の略歴を紹介しながら、書いてみましょう。

1912年、糸川さんは東京の麻布に生まれる。
小学校は六本木。中学校は青山
絵に描いたような「シティボーイ」でした。

英夫、ひでお、という名前は、
1912年の東京大学の首席卒業者、
鳩山秀夫にちなんで、
小学校教師だった父親がつけたそうです。
ちなみに鳩山秀夫は
後に総理大臣になった鳩山一郎の弟さん。
(今で言えば、元首相の鳩山由紀夫の
おじいさんの弟、と言ったほうがいいかも)

この名前に負けぬほど、彼は勉強ができた。

中学ではバスケ部。高校では音楽部。
1935年、東京帝国大学工学部航空学科を卒業。
中島飛行機に入社して、
帝国陸軍の戦闘機「隼」などの
設計に携わります。

1941年には東京帝国大学の助教授に就任。
戦後、1948年に教授になりました。
彼は『ロケット』の研究を進めます。
1956年に「日本ロケット協会」を創立。
その前年、1955年には
「ペンシルロケット」という
実験用ロケットの作製に成功している。

…このように日本の宇宙開発に
多大な功績を上げた糸川さんですが、
1967年には東大を退官しています。
当時、55歳くらい。

これは、当時行われた
「ラムダロケット」の打ち上げ実験が、
続けて失敗に終わった責任を
取ったのではないか…と言われている。
自分が辞めることで、日本の宇宙開発の
停滞を防いだのではないか、とも。

1969年にはアメリカ合衆国が
『アポロ計画』で月面着陸に成功しました。
1960年代はアメリカ・ソ連を中心に
宇宙開発競争が特に激しかった時代。

その競争の妨げになりたくはなかった。

さて、退官した糸川さんは心機一転、
1974年に『逆転の発想』という
著書を出しています。
これがベストセラーになる。

東大を退官後に設立した
「組織工学研究会」の講義をまとめた本でした。
…現在では「逆転の発想」と言えば
一般的な表現、言葉のように感じますが、
著書の題名から来ていたんですね!

糸川さんは、宇宙開発、ロケットなどの
専門分野の枠に留まらず、
組織工学、占星術、短波放送、音楽など、
多彩な分野で活動していきます。
海外の大学の教授にも就任したりしている。

…そんな糸川さんが終の棲家に選んだ土地が、
上田市(丸子)なのでした。

なぜ、シティボーイで国際人でもある
糸川さんが上田市にやって来たのか…?
そこには、先述した音楽施設、
『信州国際音楽村』が関係しています。

村で音楽施設を整備するにあたって、
関係者の間から
「糸川先生に助言を受けたらどうか?」
という声が上がったそうなんです。

糸川さんは「波動工学」を研究しており、
それをロケット開発にも活かしていた。
波動は「音響」にも大きく影響します。
ゆえに、波動工学の専門家である
糸川さんに相談してみたらどうか…?と。

ただ、相手は物凄く有名な学者さん。
果たして来てくれるのだろうか?
…それが、来てくれたんですね。
音楽村のホール建設などに大きく貢献した。

通ううちに、この地が気に入った。

1991年、糸川さんが移住してきました。
地域の人と一緒に「アースクラブ」という
会をつくって勉強会を開いたり、
和太鼓の練習をしたりして、幅広く活動する。

音楽村がある場所は
谷と谷との間の小高い丘の頂上にあった。
風が吹き抜ける、爽やかな、いわば
ナウシカの『風の谷』のような場所。

「よし、ここに古民家を移築しよう!」

アイディアマン、発想あふれる糸川さん。
何とこの場所に古民家を移築して、
住むことを決めたのでした。

もともと新潟県の上越高田にあった古民家を
音楽村の近くに移築する。

この古民家、吹き抜けが高い!
10メートルほども見上げるほどの高さ。
雪深い高田にあった古民家のため、
雪を屋根から自然に落とす工夫がなされていた。
…ただ、風が通るために冬はとても寒く、
横に別宅を建てて冬はそこに住んでいた、とか。

1999年、丸子町(当時)の病院で死去。
86歳でした。

彼が亡くなってから四年後の2003年、
小惑星が「イトカワ」と命名されます。
同年、探査機「はやぶさ」が打ち上げられて、
2010年に地球に戻ってくる…。

最後にまとめます。

本記事では「じねんや糸川」
名前の由来になった、
糸川英夫さんを紹介しました。

彼の死後、アースクラブのメンバーは
この糸川さんの古民家を改装、
「じねんや糸川」をオープンしています。
自然を愛し、自然を大切にしてきた
糸川さんの想いから「じねんや」
つまり「自然家」と名付けたとのこと…。

もし、信州の上田に行く機会があれば、
お店に寄ってみてはいかがでしょう?

私もまだ行ったことはないのですが、
いつか行ってみたいな、と思っています。

※糸川英夫さんの著書『逆転の発想』↓

※上田市による「信州国際音楽村公園」の
ホームページはこちら↓

※「信州国際音楽村公園」は
スイセンまつりやラベンダーまつり、
音楽祭などが行われる
観光スポットでもあります↓

※糸川英夫さんのひととなりの一端を
書いた記事はこちらから↓

※小惑星イトカワについてはこちら↓

※『新 プロジェクトX』の
「小惑星探査機はやぶさ 奇跡の地球帰還」
についてはこちら↓

合わせてぜひどうぞ!

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