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外に出た秀吉の例より ~つながりの強弱と相互作用~

『会社員がLinkedInで人生を変える本(仮題)』
ご出版予定の真柄 敏也 さんの
例を見てもわかるように、
「強い紐帯=つながり」を持ちつつ
何らかの「弱い紐帯=つながり」を
積極的に掴む
ことが重要だ、と思うんです。

真柄さんは職場、日々仕事をしに行く
「強い紐帯」の環境に身を置きながら、
LinkedInを活用し、会社の外にも出て
「弱い紐帯」を広げていくことで、
色々と変わっていった…と述べておられる。

まさしく「色々」ですよね!

自分も周りもカラーが変わる。
見える世の中の色彩も鮮やかになっていく…。

ただこれは、SNS上で
「弱い紐帯だけを広げさえすれば
何もかも上手くいく」…という意味ではなく、
「両方必要」という意味。
そのことも真柄さんは伝えている。

本記事では、その「強いつながり」と
「弱いつながり」について
深掘りしたい
、と思います。

具体例を挙げたほうがわかりよい。

私は歴史や地理が好きなので、
歴史上の人物を挙げましょう。
豊臣秀吉さんにご登場願います。

彼の出自には謎が多いですが、
少なくとも高貴な生まれではない。
庶民、農民の子ども。

「織田信長に仕えてから
出世していったんでしょ?」

確かにそうですが、
いきなり信長の家来になったわけではない。
それまでに彼は色々な試行錯誤をした、
と言われています。

農業。商業。職人=工業。興行。
「芸人の真似事」をして
各地を往来していた…という噂もある。
一つに絞る、という感じではない。
様々な職を「試していた」ようです。

ただ、当時は戦国時代。
結局は「力」を持つ者が強い…。
秀吉は、武士になることを志します。
戦国乱世は「下剋上」。
下の出身でも出世できるワンチャンもあった。

…ただ、考えてみたいのは、
「なぜ彼は信長に目を付けたのか?」

東には今川家という強い大名がいます。
甲斐には有名な武田家。
いっそ都で旗揚げすることもできた。

その中で織田信長を選んだ、というのは
試行錯誤の中で、
「この大将なら!」と思ったのでしょう。
織田家では実力さえあれば出自は関係ない、と。
事実、秀吉は一時今川家の武将に仕えたことも
あるそうですが、すぐ離れています。

ここで重要なのは、彼が
「弱い紐帯=つながり」を幅広く持ち、また、
意識的に持とうとしていた
、という点です。

信長も、秀吉のその「幅広さ」で抜擢した。
出世の糸口となった「墨俣の一夜城」の
エピソードにしても(その真偽はともかく)、
おそらく「正規の武将」では
発想も実行も難しかったでしょう。

しかし秀吉は、賊の頭領みたいな
人たちと協力して「突貫の土木工事」を敢行。
見事、敵の目前に一夜にして城を築く…。

「何となく言いたいことが
わかってきましたよ。
『弱いけど広いつながり』があるほうが、
いざという時に異能異才を集めて
大仕事ができる!
という話ですね?」

おおむね、その通りです。

秀吉には「幅広い人とのつながり」があった。
その彼をこき使ったのが信長。
信長は秀吉に「調略」を任せます。
調略とは、要するに「スカウト」です。
敵の内部に誘いかけ、
味方になるように説得する。

戦国時代は生き残るのが肝要です。
忠義を全うしても滅亡したらダメ。
テーマは「生きろ。」。
敵が強大でも分裂させ、味方に引き込めば…。

秀吉は調略の達人になっていきます。
有名な軍師、竹中半兵衛なども、
美濃から引き抜かれる。
調略は「心理戦」の要素が強い。
こちら側につけば、どんな良いことがあるか?
その説得には想像力と言語力が必要です。

「弱いつながり」を広く持ち、
相手の心を想像し、言葉を届ける。

秀吉はその仕事にうってつけなのでした。

「…でも、その論旨でいけば、
『弱いつながり』だけでいい、
ということになりませんか?
『強いつながり』は、むしろ邪魔では?」

…いや、そこが本記事のキモでして。

秀吉の土木工事も調略も、
もし彼が『弱いつながり』だけなら
上手くいかなかった、と私は思うんです。

『織田家の家来』という裏付け、
背景がないと、ダメだった。

よく言われますように、秀吉は
信長のことをよく把握していました。
「草履が冷たい」と思えば懐で温め、
「美濃を攻めたい」と信長が思えば
美濃のことを事前に調べておき、
『いざ』という時、チャンスに、
すぐ行動できるようにしていた…。

これは日々「接触」を続ける
『強いつながり』の中にいないと
できない
ですよね。

秀吉の例でいけば、自分がいる
「織田家」がどちらに向かうのか、
密着し、当事者意識を持ち、想像し、
何が必要か掴んで事前に行動しておく。

どんな人材、行動が求められるのか?
把握しておかなければならない。

…たぶん『弱いつながり』「だけ」だと、
そんな「志」「芯」「軸」のようなものが
薄くなりがちだ
、と思います。
フォロワーさえ増えればいい、
知識が広がればいい、となりがち。
当事者意識の中で志を共有できる
『強いつながり』もまた必要なのです。

…秀吉の例に戻りますと、
「信長の秘蔵っ子」の彼は
大仕事を任されていきます。
いわば、信長の代理人になる。

しまいには、信長の後継者になる。

明智光秀も柴田勝家も徳川家康も、
この秀吉の「巻き込み力」
いわゆる「政治力」にやられます。
家康は局地戦では勝利しますが、
大局では秀吉陣営に囲まれ、屈服する。

…結局、秀吉は戦場で滅ぶことなく
畳の上で生涯を終えました。

ただ、二世である豊臣秀頼が
家康に倒されるのは史実の通り。
秀頼の半径は狭く、
大坂城内の『強いつながり』以外の世界は
あまり知らなかった
ことでしょう。

最後にまとめます。

本記事では『強いつながり』を持ちつつ、
『弱いが広いつながりの強さ』を併せ持った
秀吉の事例
を紹介しました。

彼は「御伽衆」と呼ばれる
幅広い人たちから様々な情報を得ていた
とも言われます。

元将軍、足利義昭。
信長の弟、文化人の織田有楽斎。
滅ぼした北条氏の元外交僧、板部岡江雪斎。
狂歌の達人、曽呂利新左衛門…。

ビッグネームからよくわからない人まで。
貪欲につながりを広げようとしたのは
自分自身がそのつながりで
世界が変わったことを自覚していた
からでしょう。

…秀吉の時代は、自分の足と耳で必死に
つながりを構築しなければいけませんでしたが、

現代では、誰でも、
その気になればスマホ一つ、
SNSでアクセスが容易に可能です。


弱いつながりと強いつながり。
拡散と凝縮。攻めと守りの相互作用。
…うまく構築してみませんか?

真柄 敏也 さんの記事はこちらから↓
https://www.linkedin.com/feed/update/urn:li:activity:7244477203944521729/

※以前に『Inaoなリライト』という企画で
真柄さんの当時のプロフィールを
リライトさせていただきました!↓

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※『弱い紐帯(つながり)の強み』については
「マーク・グラノヴェッター」さんが
仮説を唱えました↓

※SNSでのつながりについてはこちら↓
『SNSリテラシーに触れていく』

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