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ゲンゴロウに見えたらすみません。言語論。
カタカナで書くだけで間が抜ける、というか
ほわっとした感じになりませんか?
カクカクの堅いテーマですが
気楽にお読みいただければ…と
このように書き出してみました。

LinkedInは、
「言語」「言葉」「文章」が主体のSNSです。

もちろん画像や動画でも発信はできます。
ですが主体は文章です。
プロフィールはたくさん書ける。
発信やDMでもたくさん書ける…。

本記事では、LinkedInにおける言語、
言葉の使い方・書き方について、
私なりに思っていることを書きます。

そもそもの前提として、
私たちは「言語」を使って
表現することができますよね。


…もちろん、言語「だけ」ではない。
絵や、画像や、動作・動画など、
「言語無し」で表現することもできます。
ただ、それらはそれぞれの
主観や感受性によって解釈が左右されがち。
(美術館や写真展などはそうですよね)

これが言語だと「解釈違い」が少なくなる。
明確な「文字」という
共通認識の強いルールに則っているから。

ただ、もちろん
解釈違いがゼロというわけにはいかない。
というか、誤解や一知半解はよく起こります。

例えば「暑い」という言葉を使った時、
どれくらい暑いか、どのように暑いか、は
聞いた人によって違いますよね。
北極と赤道直下では暑さの「基準」が違う。

そのような限界はありますが、
「暑い」という単語の意味自体は同じ。
人間は、言語を使うことで、
自分の世界を他人と共有しやすくなる。
言語は「人間同士の共通ルール」なのです。

これは、まだ言語を使いこなせない
「赤ちゃん」を考えるとわかりやすい。

暑い、不快、濡れたおむつが蒸れる…!

でも、赤ちゃんは「暑い」とは言えません。
泣くしかない。
周りは、なぜ泣いているのか、
推理や分析により解釈しなくてはいけない。

つまり、言語観や語彙が違う場合には、
「解釈違い」になることが多いとも言えます。

…さて、私はここまで、言語のメリットと
デメリット(限界)を書きました。

◆他者と感情や状況を「共有」できる
◆ある決まりに沿って「表現」できる
◆感受性や基準により「解釈」が違う
◆言語観や語彙により「差異」がある

これらを踏まえて、
「LinkedInにおける言語の使い方」を、
3つのツールを挙げて書きます。

★プロフィール:自己表現★

まず「プロフィール」がありますよね。
固定的な自己表現、と言ってもいい。
誰にいつ見られるかわからない。
(注:公開の範囲は決められます)

プロフィールは、アカウント主が
「自分」のことを「言葉」で表現するもの。
言わば「自分が見ている世界や視点」を
書きあらわしたものがプロフだ、とも言えます。

当然、本人の中には
「見えるもの」と「見えないもの」がある。
書きあらわす中では
「見せるもの」と「見せないもの」が出てくる。
効果は自分だけではわかりにくい。

その文章を、他者が読むんです。

…どう考えても、自分のことを
完璧に伝えるのは難しいと思いませんか?
たくさん書いたところで
隅から隅までその文章を
他者が正確に読んでくれるとは限らない…。

★発信:街頭演説★

そこで『発信』というツールがあります。
「記事」の形であらわしていく。
流動的な自己表現、とも言えましょう。

短くてもいいし、長くてもいい。
でもあまりに短いと伝わりにくく、
あまりに長いと読まれにくい。
頻度も人によってまちまち。
全く投稿しない人もいれば
毎日投稿する人もいる。千差万別…。

その内容も人によって違う。
たとえ同じ人でも日によって変わる。
一つとして、同じ投稿は無い。
「再シェア」はできますが、
拡散志向のXのリポストとは異なり、
LinkedInでは推奨されません。
アルゴリズム的に歓迎されない行為…。

「一期一会の発信」を、
「千差万別の人たち」が読む/読まない。


発信は『街頭演説』です。
不特定多数の人に向けて語る行為。
足を止めてじっくりと聞く人もいれば、
素通りする人もいる。

文章中にメンションをつける行為は
「演説に特定の人の名前を入れ、呼びかける」
ようなものです。
そうすればその人が「気付きやすく」なる。

…ただ気付いたとしても、
「演説(発信)を聞くかどうか」は
聴衆(読者)のほうに選択権があります。
聴衆(読者)が興味のあるトピックならば
じっくり聴く(読む)でしょう。
でも全く興味がなかったら
素通りする。これまた、当然。

記事にリアクションやコメントをつける行為は、
演説中の人に対して声を上げるようなものです。
「いいぞ!」とか「それは違う!」とか。
演説者(投稿者)は、それに応えたり、
あるいは無視したりできる。これも自由。
(注:コメントの削除もできます)

★DM:密室会議★

最後に『DM』について。

これは「原則非公開」です。
言わば「密室会議」
プロフや発信が「見せる」ものとすれば、
DMは無関係の人には「見せない」ものです。

…おそらく、皆様が思っている以上に、
LinkedIn上では「外には見えないDM」が
この瞬間にも飛び交っている、と思います。

ただ、これも人により
使い方や受け止め方は千差万別。

自分の流儀で集中してDMを使いたいので、
それ以外のDMはノイズ(騒音)にしか
聞こえない
、という方もいると思います。
その時には「ノイズなので止めてください」
と相手に言ったほうがいい。
ですがその一方、どんなDMもウェルカム!
情報として受け入れます!という人もいる。

決して「自分なりの使い方が
他人と同じとは言えない」ところが、
奥深く、難しく、面白い。

他人に提案はできるが、強制はできない。

以上、私はLinkedIn上の「言語」に関して
3つのツール・方法について書きました。

◆自己表現:プロフィール文
◆街頭演説:投稿+コメント・メンション
◆密室会議:DM

人間は千差万別です。
見ている世界、見えている世界が違う。
世界をとらえる言語観も人それぞれ。
凸凹があって当たり前。
合う人と合わない人は、必ずいる。

AIではありません。
感情と個性を持つ人間なんです。
違う人や合わない人がいて当たり前。
ブロック機能やミュート機能、
既読スルーも自由に使えます。

(もし「Inaoは私には合わない」と思ったら、
うまく避けていただければ…)

でも、だからこそ、

自分のことを日々言語化して、
プロフや発信やDMで投げかけて、

「合う人たち」とつながりを深め、
「合わない人たち」からは遠ざかるほうがいい、

と私は思っています。

何に「遭うか」「合うか」「会うか」?
ご自身ですべて決めること。
その触媒が「言語」なのです。

最後にまとめます。

本記事ではLinkedInにおけるゲンゴロン、
「言語論」を私なりに書いてみました。

皆様は、自分を、世界を、自分のビジネスを、
どう書きあらわしていきますか?
…何が自分に「合う」と思いますか?

※私は「ライティングメンター」
という造語をつくっています。
私と合う皆様の「書く」ことの相談相手に
なれましたら嬉しいです↓
『「ライメンいなお」の新プロフィール!』↓

※本記事の画像は
ジブリのホームページから借用しています。
「常識の範囲でご自由にお使い下さい」
とのことです↓

※皆様のLinkedIn上のプロフィールを
Inaoなりの解釈によって
リライトして表現した企画
『Inaoなリライト』はこちら↓

※LinkedIn上で
「千差万別キャリア自己紹介部」
というグループも運営しております↓

※LinkedIn上の
「実用地歴提案会ヒストジオ」のページでは、
小説を連載していますので、
宜しければお読みください!

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ミシェルとランプ』』↓

合わせてぜひどうぞ!

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いなお@『居場所とちぎりのレンザンズ』連載・小説PDF ココナラで販売中/実用地歴提案会ヒストジオ
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