2024年度に日本の紙幣の「顔」が変わります。
新元号「令和」の発表と同じ頃に発表されて、
「時代が変わるんだなあ…」と
感じたのを覚えています。
このうちの「福沢諭吉」は
長らく一万円札の顔でしたよね!
1984年(昭和59年)~2024年(令和6年予定)。
実に40年ほども君臨してきた。
…しかし、この人、いったい何をしたのか?
徳川家康とか坂本龍馬とかと違って、
大河ドラマの主役になっていない。
いま一つ、分かりにくい。
(渋沢栄一は主役になったのに…)
そこで本記事では
彼の事績や言動の一端を私なりに取捨選択して
紹介してみよう、と思います。
文明開化!
明治日本が欧米諸国の「文明」を取り入れて、
世の中が変わっていったことを指します。
そもそもこの「文明開化」という
言葉を世の中に広めたのが、福沢諭吉です。
『文明論之概略』という本の中で、
英語の「civilization」の訳語として使った。
つまり彼は「ミスター文明開化」なのです。
…明治時代には「四字熟語」が
やたらと出てきましたよね。
私も頑張って覚えた記憶があります。
版籍奉還。廃藩置県。地租改正。
富国強兵。殖産興業。国民皆兵。…
そのうちの一つが「文明開化」。
「散切り頭を叩いてみれば、
文明開化の音がする」とか、
「牛鍋食わぬは開化じゃない!」とか言われ、
髪型や食生活、カレンダー(暦)、
鉄道に洋灯、新聞にレンガづくりの家、
衣食住・技術・思想などに「欧米風」が
流入していったのが、この時期。
(「欧米か!」と誰かにつっこまれそう)
その「文化的な流れ」をつくった主要人物。
近代日本の新時代をつくった男!
だからこそ、一万円札に取り上げられ、
「この人、スゴいよ!」とされている。
確かに、以前の千円札の顔であった
伊藤博文とか夏目漱石とか、
そういう人は、他にもたくさんいる…?
そんな疑問を持つ方のために、
「諭吉伝説」のいくつかを紐解きましょうか。
(無批判に賛美するわけではありません。
あくまで、紹介としてお読みください)
≪その1、神をも恐れぬ実証主義≫
とにかくこの人、何も考えず疑問を持たず、
「無批判」で「思考停止」して
何かをありがたがる人を馬鹿にするんです。
子どもの頃から。
例えば、祠(ほこら)の中身を
ただの石に取り換えてみて、
ほこらを拝んでいる人を馬鹿にしたり、
「お札」を踏みつけて何もバチが当たらない
ことを確認して、トイレに捨ててしまったり、
もう「神をも恐れぬ」所業の数々…。
しかもそのエピソードを
大人になって本に書いて紹介したりしている。
≪その2、門閥制度に刃をふるう≫
「封建制」「身分制」の江戸時代から見ると
彼は「ロック魂」満載の反逆児です。
学校の窓ガラスを叩き割るレベルじゃない。
そんなことを『福翁自伝』に書いている。
「親の敵」とはまた、強烈な表現!
これは彼の地元、いまの大分県にあった
「中津藩」に関係があります。
(ここから引用)
(引用終わり)
…諭吉の親は、彼を出世させるため、
出家させてお坊さんにさせようとした。
どうしようもできない、生まれ、身分の差。
そんなお父さんの気持ちを察して、泣いた…。
親孝行なんです。
だからこそ彼は「親の敵」と表現した。
≪その3、『学問のすゝめ』はベストセラー≫
1872年に初編を出版した、諭吉の本。
1876年までの間に17編まで書かれました。
累計300万部以上も売れた。
当時の日本、3,000万人くらいとすれば
10人に1人が読んでいる。
全盛期の週刊少年ジャンプより凄い割合!
明治の「インフルエンサー」!
この一節で有名。
その後に続く言葉を含めて
現代語に訳すと、こんな感じ。
…今では常識です。学ぶ人は尊い。
しかし江戸時代では、常識ではなかった。
生まれにより、一生が決まることが多かった。
(例外はありますが)
こういう彼の言葉が、生まれによって
自己実現をあきらめていた人たちに、
どれだけの衝撃と希望を与えたことか…!
そんな彼が「学問」の場として作ったのが、
ご存知、慶応義塾(大学)なのです。
最後に、まとめます。
本記事では、一万円札の顔を長く勤めた
「福沢諭吉」を紹介しました。
その前の一万円札の顔は、
日本に本格的に仏教や国の仕組みを導入した
いにしえの有名人、聖徳太子(厩戸皇子)。
次の一万円札は、
銀行や商工会議所、証券取引所などをつくった
「日本資本主義の父」渋沢栄一。
彼らと並び称される福沢諭吉。
まさに「開化の権化」なのです。
オープン&チェンジ、つまり開化!
さて、読者の皆様は、いかがでしょうか。
オープン&チェンジ、してますか?
私も及ばずながら、頑張ります。
※こちらの記事も参考までに↑