『自由』から逃走するか、否か
先日『自由』の訳語についての記事、
フリーダムとリバティの違いについて
LinkedInで投稿しましたところ、
たくさんのリアクションや
コメントをいただくことができました。
ありがとうございます!
本記事では、そのコメントの一部のみを
紹介しつつ、もう少し『自由』について
考えてみたい、と思います。
なお、あえてメンションはつけず、
コメント内容のみを引用紹介いたします。
LinkedInのコメント欄に貼ったリンク、
あるいは本記事の下部のリンクから、
元記事をお読みいただければ嬉しいです!
(ここから引用)
(引用終わり)
元記事では、二つの違いをこう表現しました。
ところが、日本史においては
「庶民が立ち上がって起こした
全社会をひっくり返す革命」
という事例が、あまりありません。
ですので「リバティは与えられるもの」
言うなれば「空気」のようなイメージが
強いようにも思います。
私は、以下のように返信しました。
(ここから引用)
(引用終わり)
フリーダムにしたい人が「多い」集団では
「お互い様」という懐の深さがあり、
比較的フリーダムに過ごしやすいですが、
そうではない集団においては
「あいつばっかりフリーダムにしやがって!」
という妬み、排斥が起こりやすい。
そんな面を書いてみました。
では、次のコメントに行きます。
(ここから引用)
(引用終わり)
自由はフリーダムとリバティに実は分かれる、
という考えに対し、
そんなにはっきりとは分けられないのでは?
というご意見です。
とても鋭いご指摘だと思います。
私の回答は、こちらです。
(ここから引用)
(引用終わり)
さて、読者の皆様は、どう思いましたか?
「自由」とは、なかなかに奥深い
「沼」のようなテーマだと思われます。
最後にまとめましょう。
本記事は「自由」について書いた記事に
寄せていただいたコメントと、
私の回答を引用紹介してみました。
砂押 美穂 さんの「LinkedIn文学部」の
「哲学分科会」発足記事によると、
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』
(原題:ESCAPE FROM FREEDOM)
が紹介され、第1回は「自由」について
考えてみる…とのこと。
「自由と責任」「自由と迷惑」
「自由と不自由」
「自由と(集団の)雰囲気」
「自由を支える法律と財産とは?」
「個人の自由と集団(公)との関係とは?」
「自由から『逃走』する人と
自由に『留まる』人との違いは…?」
自由をテーマについて考える時には、
いくらでも『問い』が立てられますよね!
すぐには答えの出ない問いを立て、
自分なりの言葉で考えて発信して
反応を受けることで、
世界や人間への解像度が上がると思います。
興味のある方はぜひ、ご自身なりに
考えていただければです。
本記事の下部のリンクから
砂押さんの記事もどうぞ!(宣伝です)
※『自由からの逃走』…聞いたことはあるけど
どんな内容だったっけ?という方のために、
イラストでの解説記事を紹介しておきます。
ご参考までに、ぜひどうぞ↓
※元記事はこちらです。
『「自由」という日本語と訳語』↓
note版はこちら↓
リアクションやコメントを
いただいた皆様、ありがとうございます。
※砂押美穂さんの、文学部でのご投稿、
【哲学分科会を立ち上げてみます!!】
の記事はこちら。
第1回目は「自由」をテーマに考える、
とのことです↓
合わせてぜひどうぞ!