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多数派か、それとも少数派か?

ある集団内における行動は、その意見に
賛同する人が「多いかどうか」で
左右されがちなもの
です。

「多数決の原理」を全面的に採用するなら、
多数の人が賛成する意見が「正しい」。

しかし「少数意見」が「誤っている」のか、
というと、そうとも限らないのが
難しいところです。

例えば、ビジネス、企業などの中では
集団の中で権限に差があり、
多数の人が賛成する意見を無視して、
少数の権限を持っている人が
少数意見を選択し押し通すのは
よくあることです。


例えば大規模なリストラ(退職勧告)とか。

多数の人にとっては厳しい、
とても賛成はできない意見であっても、
集団を維持する上ではやむを得ない、
少数意見だけど、やらなきゃいけない!
文句あるならかかってこい!
そういう苦しい決断は、ありますよね。

こういう問題を考える際に、
一つの参考になるんじゃないか、と
思う「論争」がありまして。

それを紹介するのが、本記事です。
「ベンサム」という人と、
「ミル」という人が、それぞれ
主張した、意見の違いです。

ベンサム。イギリスの思想家。
ジェレミー・ベンサム(1748~1832)。

『最大多数の最大幸福』という
言葉で、よく知られています。

ものすごくはしょって言いますと、
「幸せというのは、快か不快かだ」
「人間であれば、快か不快かは共通する」
「ゆえに、幸せというのは数的に計算できる」
「正しいこととは、この『幸せの総量』が
できるだけ多いことなのである」

という考えを主張しました。

彼は、まだ民主主義が発達していない
時代に生きた人です。
貴族と大地主と金持ちくらいしか
選挙権を持っていない制限選挙の時代。
人間には、生まれ持った絶対的な差がある、
と考える人が、まだ多かった時代です。

なので、それに対抗して
ベンサムは、多数決・民主主義を
重視する考えを構築していこうとします。

彼の考えは、当時では、革命的で急進的。
「人間であれば、快か不快かは共通する」
=「人間みな平等!」という前提ですから。

実際に彼は、
「普通選挙制」の実現を提唱していきます。

このベンサムの考えに反対した
(修正して発展させた)のが、ミルです。

ミル。同じくイギリスの思想家。
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)。

ベンサムのお父さんと、
ミルのお父さんは知り合いでした。
ミルは、父の友達の考えに反論していきます。

『「幸せというのは数的に計算できる」
っていうのは、極端じゃないですか?
だって、人間の幸せって、
人によって違うじゃあないですか』

ものすごくはしょって言うと、こんな感じ。

有名なミルの言葉があります。
『満足した豚であるより、
不満足な人間である方がよく、
満足した馬鹿であるより
不満足なソクラテスであるほうがよい』

食べる、寝る、遊ぶなどの
本能的な快楽より、
知的な活動、そういったものから得られる
快楽の方が上なんだ!と言ったんです。

ミルは、少数の意見であっても
無視すべきではない
、と言います。

むしろ「多数派とは異なる意見を持つ
少数派こそが、突出した個性を持ち、
社会を進歩させる原動力となる」と言って、
積極的に少数派を擁護していきます。

『最大多数の最大幸福』の考えによって、
多数派が少数派をつぶしてしまうのを
危険だ
、と指摘したのです。
「多数の専制だ」「多数の横暴だ」と。

…このあたりは、多少、当時の社会を
説明しないとわかりにくいですね。

ミルは、ベンサムの次の時代に生きています。
つまり、普通選挙制が認められつつある時代。
多数決・民主主義が普及してくると、
どうしても「わかりやすい」
「本能的に幸せと思いやすい」政策を
主張して、大衆に「迎合」してしまう政治家に
人気が出てくるものです。

政治屋、というか、ポピュリスト、というか
パフォーマンス重視というか…。

当時も、そうでした。
大衆側も、多数派であることを良いことに
少数派の意見を圧殺し、
世論を構築していくことが、よくあります。

…そういう「多数の横暴」の傾向に対して、
ミルは「待った」をかけようとしたんです。

いわば、ベンサムの理論の「毒」の部分を
中和させようとした、とも言えます。

この二人の意見などは「功利主義」と呼ばれて
◆ベンサム…「量的」快楽主義
◆ミル…「質的」快楽主義

と、違いを単純化して
まとめられることもあります。

ただ、こういうまとめを
ただ覚え込むことだけが、大事ではない
(テストではないので…)。
それぞれどう違うのか、
どう使えるのかを
理解するほうが大事ではないでしょうか。

では、冒頭の問題に戻りましょう。

「ビジネス、企業などの中で
多数の人が賛成する意見を無視して、
権限を持っている人が少数意見を選択」

これは、正しいのでしょうか?

ベンサム風に言えば、
最大多数の最大幸福に則ってないので
よろしくないでしょう。
一方、ミル風に言えば
少数意見でも正しいことはあるので、
良くない、とは必ずしも言えない。

もう少し言えば、
単純に快楽を数字に置き換える
「量的な問題」と見るのであれば、
多数の幸せを生む選択のほうがいい。
これがベンサム風。

人によって、幸せは違うのだから、
つまり「質的に全く違う」のだから
リストラで違う会社、違う仕事に
ついたほうが、実は幸せかもしれない、
これがミル風。

100%の正解など、ありません。
どっちもどっち。わからない。
「正義と悪の戦い」では、ないのです。

単純に多数派だから、少数派だから、
ではなく、そういう意見の違いがある…
という話でした。

そろそろ、まとめていきます。

今回の記事では、集団の意思決定を例に、
ベンサムとミルの主張の違いを
参考までに書いてみました。

こういう問題は、人がいるところなら、
どんなところでも起こり得ますよね。
例えば、リンクトイン内の
投稿をどうするか、という問題など。

「この投稿は『ビジネス的でない』から
最大多数の最大幸福には
ならないのではないか?」

「いや、そもそも『投稿は自由』なのだから
少数意見、あまり見ないような投稿であっても
尊重されるべきでは?」

そう、ベンサムとミルの意見の違いは、
色んな事例にも応用できます。
古くて新しい論争、なのです。

いずれにしても、人間が集まれば
そこには何らかの意見の相違、
論争が生まれてくるものです。

SNSはツール、道具に過ぎません。

数の圧力で圧殺する方向ではなく、
(人を傷つけるなど極端なものでなければ)
「人それぞれの幸せ」を尊重し、
それぞれのやり方で追い求められるような
使い方をしていきたい、と私は思っています。

どうしても「不快」に感じる投稿などには、
ミュート・ブロックなどの
対抗策もあるわけですから…。

さて、読者の皆様は、
それぞれの集団の中で
どんな意思決定をしていますか?
どのように、SNSを使っていきますか?
どんな投稿を、していきますか?

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