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備忘メモ:集合的アイデンティティと個人のアイデンティティ、芸能と古典と組織と。
※画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。
伝統の継承と組織の存続:集合的アイデンティティと個人の意義を紡ぐ
組織論の世界では、組織が長期的に存続するためには「集合的アイデンティティ」が欠かせないと言われる。集合的アイデンティティとは、組織が一体として共有する価値観や信念、使命感であり、それが組織の「核」となる。一方で、それを構成するのは最小の単位としては個々のメンバーの「個人のアイデンティティ」であり、これらの相互作用が組織の力強さを支える。同じような問いが、伝統芸能や工芸といった文化の領域にも当てはまる。これらは、歴史の中で築き上げられた集合的アイデンティティの結晶であり、個々の職人や芸術家の個人のアイデンティティが織りなす「物語」としても捉えられる。経営学的文脈にある組織論の議論と伝統文化を横断的に捉え、永続的に発展(かならず発展成長せずとも残り続ける)組織と伝統がどのように長寿を保つか、そしてその未来について考えていくためにどんなことを考えていけばよいのか。
伝統芸能と工芸に見る集合的アイデンティティ
伝統芸能や工芸は、長い年月をかけて培われた文化的価値の集大成だ。例えば、能楽のような舞台芸術では、個々の能楽師が磨く技能や解釈を持ち寄りながらも、集団全体として一貫した美意識や作法を守り続けて今に至る。その集合的アイデンティティは、明文化された(あるいは口頭伝承されてきた)規範や形式美として表現されると同時に、世代を超えて内面化される信念のようなものとして継承される。それは、能が能たり得る核たるものだ。この核から外れていれば、能面を被って舞っても能にはならない。
同様に、伝統工芸も、技術者個人の技巧や感性が「流派」や「地域性」といった集合的な文脈に支えられ、特定の様式や哲学として確立されている。津軽塗や南部鉄器といった青森県の工芸品は、その土地の歴史や環境に根ざした集合的なアイデンティティの象徴であり、それが市場での価値や顧客の信頼につながっている。
企業におけるブランドやミッションも、これと同じように機能する。従業員がその価値観を共有し、外部からの変化にも柔軟に対応する力を持つことで、長期的な存続が可能となる。
個人のアイデンティティの力と危機
伝統芸能や工芸が存続している背後には、個人のアイデンティティが大きな役割を果たしている。一人ひとりの職人や芸術家が、「自分は何のためにこれをやっているのか」という問いに向き合い、創造性や情熱を注ぎ込むからこそ、伝統が命を吹き込まれ続ける。
しかし、現代の課題として、職人や能楽師といった「個人」の存在が十分に注目されず、若者の後継者不足が顕著である。一方で、経営組織・現代的な組織でも「働き甲斐」の問題が叫ばれているように、個々人が自分の役割に誇りや意義を見出せなければ、どれほど強い集合的アイデンティティを持っていても、組織や文化は衰退してしまう。
存続のためのヒント
伝統芸能や工芸から、組織の存続や成長に活かせるヒントを見出すことができる。それは、「柔軟な変化」と「核の保持」の絶妙なバランスだ。例えば、茶道は形式美を守りつつも、現代のライフスタイルに合わせた新しい試みを積極的に取り入れている分野の一つだ(歌舞伎のワンピース歌舞伎なども例としてはあるだろう)。企業も、コアバリュー・集団的アイデンティティを堅持しながらも、技術革新や市場変化に適応する柔軟性を持つべきである。
伝統をどう生き残らせるか
企業の存続以上に難儀なのは、伝統芸能や工芸といった伝統文化の存続である。これらを未来に残すべき理由は、それが人類の集合的な知恵と美意識を次世代に伝える重要な手段だからであると、ここでは考えておこう。伝統芸能や工芸は、人々の心に響く「物語性」を持ち、それが人々を惹きつける力となる。伝統を守るだけでなく、それを魅力的に伝える新たな工夫が求められる。
たとえば、デジタル技術を活用した工芸品の展示や、国際市場への進出はその一例だ。これらの取り組みは、伝統と現代をつなぐ橋渡しとして、集合的アイデンティティを広く共有する手段となる(このことについては、このメモでは掘り下げない)。
伝統と組織の「物語」を紡ぐ
伝統芸能や工芸が示す集合的アイデンティティと個人のアイデンティティの力は、長く続く組織を作るヒントを与えてくれる。それは、単なるルールや手続きではなく、「なぜこれを続けるのか」という深い問いと向き合い続ける姿勢だ。文化と経営、それぞれの領域で共有できる学びを、未来のために活用できないだろうか。