凪良ゆう著「汝、星のごとく」、「星を編む」の解説、私見
凪良ゆう著「汝、星のごとく」
なぜこんなにも人は身勝手で自己中心的であるのに、お互いがお互いの不足点を認め合いながら愛することができるのだろう。
そう思わざるを得ないのが、今回紹介したい書籍「汝、星のごとく」である。
あらすじ
本書では、閉鎖的な瀬戸内の島に飽き飽きしながらも独り立ちすることもできず、母親と一緒に住んでいる高校生、井上暁美(いのうえあけみ)と、男癖の悪い母親と共に瀬戸内の島に引っ越してきた靑埜櫂(あおのかい)が、家庭環境の複雑さや、島の住人どうしの窮屈さなどの共通点によって巡り会うという内容である。
そして彼らは考える。自分たちの将来について、夢について、そして結婚について。
色々な葛藤や出会いと別れ、そして島住民との関係やしがらみ、夢を追う難しさとやりがい、互いが互いの人生を歩み始めたとき、両者の中でのすれ違いも多くなっていく。
彼らが紡ぐ物語とは…
というのが、基本的なあらすじとなっている。
それぞれの人生である
本書では、各章にて、主観となる人物が移り変わりつつ、同じ事件や事象についてまとめていく。その過程で、ある人物ではAのように解釈された物語も、他方ではBという解釈が存在するということを知ることになる。
しかし、人生は主観で成り立ってる。
その最たる例は「噂」であろう。情報の善悪や確認なく、主観や感覚で話をし評価する。それは人々のゴシップとなり他人によって独り歩きし、消費されていく。コミュニティが小さければ小さいほど、噂は真実となる。
そのような環境の中で、登場人物はそれぞれの思惑や考えなどを理解できるわけもなく、無情にもすれ違っていく。
読者としてはもどかしい反面、自身の人生で幾度も経験したであろう、すれ違いやいわれのない誤解、無理解、嫉妬などの様々な感情を追体験することになる。
特に青埜櫂と井上暁美との葛藤やすれ違いには、モヤモヤさせられて行き場のないもどかしさが、読者を襲うことだろう。
しかし、ご安心を。
凪良ゆう先生は、読者の気持ちを掴むのにも長けている。
読者を没頭されるには有り余るほどの文章力と表現、何より感情描写によって、文章を読めば読むほど、ページが進めば進むほど感情移入して世界観に没頭していくこと間違いなしである。
大がかりな伏線回収
読書は基本的に、1ページから読み進めるのが基本であろう。つまり読者も1ページ目から本の世界に没入していく。
本書はなんといっても、1ページ目がすごい。意味が全くわからないのである。
その頭の中に浮かんだ「?」を丁寧に紐解いていくのが本作の特徴でもあるだろう。
「?」が浮かんだであろう。
この小説は不倫小説なのか?浮気が公認されている夫婦?複雑な家庭環境?
いえいえ、違います。
このような、少ない冒頭の何ページの理由を探すために残りの300ページを読むといっても過言ではないほどである。それほど価値のある冒頭部分となっている。
ぜひ、手に取って読んでいただきたい。
凪良ゆう著「星を編む」
「星を編む」は、「汝、星のごとく」の続編にあたる著書である。
あらすじ
本作は何といっても、「汝、星のごとく」(以下、前作)のアフターストーリーである。しかしアフターストーリーというのは読者基準であって、実際には本の中の登場人物には「それぞれの人生があり、変わらず人生は続いていくのである。」と思うことも多々ある。
本作では、前作の矛盾やもやもや、すれ違いなどを解消するような、スッキリするような場面が多い。
3章によってまとまっていて、それぞれ北原先生、青埜櫂の担当編集者である植木さんと二階堂さん、北原先生と暁美の関係などがつづられている。
特に、北原先生という個人のエピソードはそれ単体でも、とても興味深い内容となっている。
大切な人を想う気持ちとは
「大切な人を想う」という言葉を聞くと、とても色鮮やかで純真で素朴な気持ちと受け止める方も多いのではないか。
愛情とは一直線で濁りのない、もっといえばよどみのないものであって、それはすなわち浮気や不倫、俗世のものとは隔離されるという形で現れることもある。
しかし、凪良ゆう先生は、既存概念に縛られず、「大切な人を想う」というのはどういうことなのか?というのを読者に投げかける。
そこで中心人物として浮かび上がってくるのが北原先生である。
彼は色々な紆余曲折を経て、教員となっていくのであるが、かれの観点は鋭く時に冷酷なようにも感じる。
しかし、つねに人を「想って」いるのである。
その象徴がこのセリフであろう。
言葉の真義を確かめるために、一度読まれた方もそうでない方も本書を手に取っていただきたい。
人のことを「想う」とは、どういうことか否応なしに考えさせられるだろう。
前作との決定的な違い
今作はなんといっても、全面に凪良ゆう先生の「人生観」があらわれているように思われる。
それはつまり、各登場人物の人生に対する観点が言葉の節々に表現されているということである。
もちろん、前作でもそのような内容が無かったわけではない。特に瞳子さんのような強烈なキャラクターも存在したが、しかし本筋は暁美と櫂との関係性であったであろう。
しかし今作では、より各登場人物に寄り添いつつ、かれ彼女らの人生に対する考え方、仕事や結婚などに対する考え方、個性とはなんなのか、正しさとはなんなのか、などが明確にあらわれているような感じを受けた。
様々な生き方によって、出会い、そして別れるという過程はどの時代でも、どのような人でも経験するのではないだろうか。
しかしそれも「人生」であるという、著者の強いメッセージをうかがえるのが今作だろう。
凪良ゆう先生の問題意識とは
社会規範に対する鋭い問題提起
自分自身が誠に恐縮ながら、凪良ゆう先生の著作は今回、紹介させていただいた2作、そして「流浪の月」を読んだだけである。
しかし計3作を読みながらとても強く感じたのが、凪良ゆう先生の規範的な考えに対する、鋭い観点、メッセージである。
今もなお現存している封建主義的で男尊女卑的な家庭や、LGBTQ+の多様性、小児性愛、ルッキズムなどの問題に対する強い問題意識があると伺える。
そして聞くところによると同性愛に関する書物も書かれていると聞いた。
そのような鋭い問題意識を持ちつつも、読者を引き込む文章力を同時に持ち合わせているので、非の打ち所がない作品が出来上がるのである。
今回紹介した2作品も、とてもメッセージの強い作品があるのではないだろうか。
既存の規範についての問題提起などが、読者の広い共感を呼ぶ理由ではないでしょうか。
そしてその過程で理解しあい、歩み寄ろうとする営みも、人だからこそ出来る尊い行いではないだろうか。
自分らしさの追求の中でこそ、認め合う中でこそ人は人を「想える」ということを伝えたいのではないかと、これまた「私の視点」で勝手に解釈している。
昨今のSNSや噂についての問題提起
昨今はSNSが全面的に普及し、情報の真偽を問わず「拡散→誹謗中傷」、もしくは「拡散→賛美」という流れがあるようにみえる。
肯定的な面ばかりを見ると、それはそれで良いのだが、現実はそのようにはいかない。
顔の見えないSNSならではの問題点、顔の見える噂話の問題点などがあるように思える。
もちろん表裏一体であって、共にメリットデメリットがある。
青埜櫂の遺作を世に打ち出すために、二階堂さんや植木さんは自身の持っているネットワークをフル活用する。反面、彼らはSNSによって連載休止という壁に阻まれたのである。
井上暁美もそうである。近しい人たちのネットワークにより自身の家庭の問題であっても公になり、息が詰まる思いをする。しかし、その過程でぶれることのない、力強い生き方を習得する面もある。
SNSや噂、ゴシップは最悪、人の命や尊厳までをも奪うツールたる可能性があるということに警報を鳴らしているのではないだろうか。
一方的なメリットデメリットを主張することなく、バランスを取りつつも現代社会の問題を描くことにとても意義があると思われる。
まとめ
いかがであっただろうか。
本投稿によって一人でも多くの方々が、凪良ゆう著「汝、星のごとく」、「星を編む」を手に取っていただけるとありがたい。
もちろん、筆者の意図しないところや、読者の考えていないことなどを書いてしまったかもしれない。
しかし、私自身はこの本を読みながらいくつもの感動や気付きがあったことに疑いの余地はない。
自身は小説に対して鋭くもなく、小説の歴史に関しても無理解なところが多い。あくまでも私見ということで大目にみていただきたい。
最後に、意義深く数々の気付きを与えてくれた2作品を世に出してくれた、凪良ゆう先生、編集者や出版社の方々、関係者の方々、そして本記事を読んでくださった方々の惜しみない努力に敬意と感謝の念を述べながら、締めくくろうと思う。
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