変化していることにいつ気づけるか #36
Hisaと申します。
ここ最近になって毎週日曜日に母親と電話をする習慣が身についた。
学生時代は自分から話をすることはほぼなく、
社会人なりたての頃は、実家に帰るときぐらいでしか話す機会を作らず、
電話がかかってきても、でるにはでるがそんなに長く話すことはなかった。
そんな自分が社会人にもそこそこ慣れてきた今。
毎週おかんとお話をするのである。
人が「変わる」というのはこういうことなのか…と実感する瞬間であった。
祇園精舎の鐘の声
小学生の朝の集会で、よく「平家物語」を読んだ記憶がある。
知っている方も多いと思うが、平家物語とは、
というもので、
の文章で現代にも受け継がれている物語。
この文章の、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」
という部分が個人的には好きで、
「この世のすべてのものは絶えず変化していくものだという響きが含まれている。」
という現代語訳になるらしい。
今から何千年前も昔のことであるが、
この世の中の普遍的な部分を祇園精舎の鐘の音を例えとして歌っている。
なんとも感慨深くて、自分の人生を支えてくれている。
今回の自分の母親との会話もこれに当たるのではないだろうか。
変わらないと思っていたものが、ふとしたことで大きく変化し、
今まで考えてもみなかった全く別の世界を歩んでいる。
これが世の中というもの。
また、そのあとの文章では、
「今の現状は長く続くものではなく、いずれかはまた別のものに変わっていく」という内容が書かれている。
普段生活していると目の前のことに精一杯で、
変化していることに気づくことはなかなか難しい。
ただ、自分が気づかない状況でも常に世の中は変わり続けている。
その変わる状況下で、自分も少しずつ変わっている。
その変化に気づくのは、果たしてどのタイミングなのだろうか。
きっとふとしたきっかけが、自分が変わっているということを気づかさせてくれるのではないだろうか。
私はそれが今回の「毎週日曜おかんとの連絡」なのだとおもった。
記録をしながら常に自分を見つめておく
変化はすでに今も起こっている。
ただ、感情や衝動で生きていれば些細な変化に気づくことは難しい。
変化に気づけないと、「自分は何も変われない生き物なんだ…。」
と、悲観的かつ固定的な考えになってしまう。
若いころはあんなに変われると思っていたのに。
だからこそ、自分が着実に変化しているということに気づくために、
【記録をする】ことが大切なのだ。
些細なことでもいいから、
今日やったこと・挑戦したこと・うまくいかなかったことなど、
なんでもいいから書き出しておく。
それを見返すたびに、
自分が何かしらで変化していることに気づけるのではないだろうか。
【変わる】ということに気づく。
そこからステップを踏んで、自分の進む方向へと歩んでいく。
変わることに遅いもくそもない。
どのタイミングで気づけるか。
おそらく、今からでも気づくことができるのではないだろうか。
Hisa