みんな心がとても辛いね。
毎日心の落ち着かないニュースだらけ。
私的な事から世界的な事まで
今年は一瞬も心休める隙をくれなかった。
私はニュース番組がとても苦手だ。
朝はラヴィットしか見たくない。
元からバラエティ番組が好きというのもあるけれど
起き抜けから不安になるような報道を見てしまうと
1日中心がざわついて、何倍もの幸せなことが起きない限り1週間は引きずってしまう。
ラヴィットがなかったら精神崩壊していた気さえする。
朝からいっぱい馬鹿なことしてくれてありがとう。
とにかく今年のストレスや精神的な不安は凄まじい。
9月に人生で初めて不正出血が続いた。
病院に行ったら恐らく排卵をしていない、と服薬することになった。
ストレスは自分で思っている以上に身体に現れるのだと身を持って知った。
そういえば何年もしっかり眠れていない。
夢を見てしまうのが怖いから。
そしてまた今日も朝から心がざわついてしまったのでずっとどうにも出来ずにいる事を吐き出しておこうと思い、これを書き始めた。
まず遡る事2年弱。
2020年のクリスマスに父が実家から出ていき音信不通になった。
余命3ヶ月の癌という情報だけを残して。
父名義の車やバイク、家、保険、通信費など全て支払わず、何もかも放り出して雲隠れした。
父がいなくとも、まだ生きている状態では私たち家族はどうすることもできなかった。
そんな胃がキリキリするような日々を3ヶ月ほど過ごした時、父方の親戚から父が死んだと連絡がきた。
それが私の2021年の始まりだった。
2021年はとにかく金銭面で苦労した。
どうしてこんな想いをしなくてはならないのだろうと何度も考えた。
ずっと身勝手に生きてきた父が死んだことはどうでもよかった。
そして2022年が始まった。
2月頃、やっと1年経ったねなんて実家で母と祖母と話していた。
2019年には父方の祖母が亡くなっていたので、2年連続喪中で、今年を越えればやっと喪中じゃなくなるね〜なんて。
そしてその1ヶ月後、祖母が亡くなった。
祖母は10年ほど前に癌と脳梗塞を患ったけれど、定期健診でもほとんど完治だと言われるぐらいで認知症の兆しもほとんどなく、毎朝洗濯をしたり元気な80代だった。
私の目の前でただ、つまずいて転んで、死んでしまった。
とにかく死んでしまった。
未だに私は受け入れられていない。
生まれた時からずっと一緒にいたおばあちゃん。
おばあちゃんが死ぬことが私はこの世で一番怖い、と周囲にも話していた。
孫とおばあちゃんでは考えられないぐらいめちゃくちゃ喧嘩したおばあちゃん。
友達同士でもしないような話をなんでも話したおばあちゃん。
4月に私の娘が幼稚園に入ることをとても楽しみにしていて、自分もお迎えに行くと保護者用IDカードを作っていたおばあちゃん。
あまりにもあっけなかった。
消防車と救急車が来た。
懸命に心肺蘇生をしてくれた。
そして救急車で運ばれ病院で息を引き取った。
ただ自宅で起こったことなので、その後警察の方が来て家中の写真を撮り、状況を説明して、葬儀屋さんが来て色んな日程を組んで、翌日死体検案書を警察署に貰いに行った。
母はかなり動転していて使い物にならなかったので実質私が喪主を務めた。
その頃から今も、気が付くと勝手に涙が流れてしまう。
未だにちゃんとお仏壇に手を合わせられない。
涙が止まらなくなってしまう。
祖母が亡くなった数日後に娘の3歳半検診があった。
祖母が亡くなった約2週間後、娘の入園式があった。
そしてそのままの流れで娘の幼稚園生活が始まり、今に至る。
悲しみや不安を吐き出す暇さえなかった。
そして現在4歳の娘もとにかくひいおばあちゃんが大好きだった。
娘は当時3歳ながら
ひいおばあちゃんの死を理解し、受け止め、悲しみ、しっかりと泣いた。
単純にすごいと思った。
一方でそんな娘を見ることはやっぱり辛かった。
祖母はボケて家族に迷惑をかけるのは絶対に嫌だとよく話していた。
元気でいていつかぽっくり死にたい、と。
その願いが叶ったのかもしれない。
そう思うことでしか自分を慰めてあげられない。
祖母が亡くなる数日前、私は夢を見た。
外が騒がしくて、実家の玄関のドアを中から開けると、家の前に消防車が来る夢。
祖母が転んで、119して最初に来たのは消防車だった。
夢と全く同じ光景で消防車が実家の前に来た。
それがトラウマで今も眠れない。
夢を見ると正夢になってしまう気がして怖い。
私の時間は2022年3月で止まっている。
悪夢から醒めないでいるような感覚。
辛い。
受け入れられない。
うつ伏せで転び、ベッドサイドの棚の間に挟まった祖母をすぐに抱き上げてあげられなかった非力な自分が心から嫌いなまま。
ずっと心の整理がつかない。
辛い。
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