アニメーション作家の黒坂圭太氏のライブドローイングを、国立新美術館に観に行って感じたものは
今日は大学生時代に私が所属していたゴルフ部のOBコンペで現役生と大先輩と千葉で楽しくプレーをした後、国立新美術館へ自家用車で移動。
目的は私が小学生だった時の美術科目の恩師であり、現在は武蔵野美術大学の映像学科教授であるアニメーション作家の黒坂圭太氏の「ライブドローイング」を拝見するため。ICAFと言われる、美術学生のアニメーション最前線がわかるイベント内で行われるものだった。
「ライブドローイング」というものを私は初めて拝見したのだけれど、与えられるお題に沿って即興で絵を一枚描きあげるものを、合計で4セット行う仕組み。制限時間は一枚10分だ。
研修室内の50席ほどの椅子は一杯で、立ち見で更に50人くらいいただろうか。私は立ち見の前列で拝見した。
画材は至ってシンプルで、板に目玉クリップで止められた高さ一間くらいのロール紙に、黒色、時に赤色、青色、わずかに黄色の絵の具を使い即興で描かれていく。
観客は主には学生と黒坂作品のコアなファンと思われるが、制限時間内に難しいお題に沿って描かれる作品そのものと、黒坂先生の動きと、観客の様子を全て視界に入れて私は拝見していた。
緊張感のある静かな空間に、先生が黒色の刷毛を、白い紙にダン、ダン、と当てる音が響く。時折パシャっと一眼レフのシャッター音とスマホの写メの音や動画撮影の音が鳴る。
刷毛や筆で黒坂先生の手で絵は描かれ、今まで白かった紙面が物理的に変化し、意味が生まれた。観客はそれぞれの興味に従って、その様子を観ている。
4枚揃ったときには、先生が描くアイコニックな人物像も現れ、なにか起承転結のある物語の一部のようにもみえた。
後半はトークとなり、それは学生さん方が聞くべきでしょうと思い一番うしろで拝聴した。
驚いたことに、長くて難しいお題はAIが黒坂作品のイメージから生成した文章とのこと。例えばいちばん右、4枚目のお題は「砂漠の真ん中に咲く一本の木、その根は見えない世界へと続いている」という具合に。
このイベントには「木を見たから森が見える!」という副題があったようなのだけれど、とにかく結局木しか見えない的なことを仰っていた。長く教師というお仕事と作品を発表されている黒坂先生の、根源的な強さを垣間見た思いがした。続けることこそがクリエイションというべきか。
実は黒坂先生がその昔実験映像作品を発表されていた頃、私は一枚の写真で先生の作品「変形作品第3番<ミックスジュース>」に出演している。幼い私が現れるのは最後の一秒にも満たないと思うけれど、グラスに注がれたミックスジュースを作品の中で眺めている。再生される度に、私はいつだって何度でもこの先も、先生が作ったミックスジュースを眺めるのだ。
黒坂圭太氏のこれまでの作品は、公式サイトへ↓
https://www.keita-kurosaka.com/
話はゴルフに戻るけど、今日のOBコンペでは、短いミドルホールでティショットをドライバーかスプーンのどちらで打つか迷っている将来有望なレギュラープレーヤーである学生に、私の9個上のOGが「試合じゃないんだし、やっぱりドライバーでしょ。攻めないと課題だって見えてこないじゃない?」と言い放っていて、痺れたんだった。
かく言う私はこのところ予想外の出来事が同時多発して、いっそくたばれば楽なのに、色々動くほどに帯電する自分に辟易していたのだけれど。
今日は、こんな自分になりたいという若いしゅわしゅわとしたエネルギーと、黒坂先生や先輩のシンプルに研がれた強いエネルギーの間で、時間の不思議みたいなものを感じた長くて有意義な一日だった。
帰る頃にはとっくに日が暮れていて、霞から首都高に乗りガラ空きのC1をひとりでぱきっと運転して帰宅した。
またすぐに明日という朝が来て途切れることなく営まれる今日が、どうか優しい世界であれよ、と思いながら。