生前の人生に問われるのは、肉体的に何を体験したかではなく、霊的なレベルで何を学んだかです。『I<わたし>真実と主観性』P295
上記のタイトルは、真実度999の『I<わたし>真実と主観性』P295から抜粋しました、懲りずに真理郎です。
光に還る時には、三途の川を通るとか、審判・質問を受けるとか、いろんな情報があると思いますが、上記のタイトルは真実度999.5と、測定してあります。
このタイトルが書いてある14章全体が真実度999.5となっているので、このタイトル自体は、真実度1000かもしれません。
僕ら人間は、主観でとらえるので、霊的なレベルという言葉の捉え方もさまざまですので、コンテクスト(文脈/状況)を少しでも合わせてみたいと思います。
『I<わたし>真実と主観性』の本には、コンテント(内容/中身)と、コンテクスト(文脈/状況)という言葉がたくさん出てきます。
コンテント(内容/中身)と、コンテクスト(文脈/状況)は、最初、さっぱり分からなかったので、それも踏まえて、説明してみたいと思います。
目次は英語で「table of contents」なので、本や記事のタイトルもそうですが、焦点を”これ”とした、それが、コンテント(内容/中身)の感じです。
例えば、その本や記事のタイトルを、たくさんの文脈で表すことになるのですが、それが、コンテクスト(文脈/状況)です。
『愛』『真理』・・・世の中にはたくさんのコンテント(内容/中身)があるけれども、そのコンテクスト(文脈/状況)は、その人の主観で変わってくるわけです。
これは、とてもざっくりとした入り口の説明で、実際に本にはこう書かれています。
恣意的(しいてき)と出てくるので、意味を書いておきます。
Q:「コンテント(内容/中身)とコンテクスト(文脈/状況)」の意味と、このふたつの関係を教えてください。
最後の文章の部分の、通常の意識状態を、般若心経に照らし合わせてみると、色即是空の、色しきがコンテントであり、空くうがコンテクストの捉え方でいいのではないかと、懲りずに真理郎さんの見解です。
それは、巻末資料の付録D量子力学P520にこう書いてあります。
量子物理学者は実体のあるものを解明しようとし、神秘家とは、覚醒(悟り)前の段階の人たちで、実体のないものを得意としています。
般若心経は、覚醒(悟り)のための智慧の教えであり、実体のないものの表現が含まれています。照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄(どいっさいくやく)五蘊(ごうん)が皆(みな)空であることがわかったので、一切の苦しみを解決された。とあります。
五蘊(ごうん)とは、色しき・受じゅ・想そう・行ぎょう・識しきの五つで、五感に近い、実体があるものに捉われる、執着する機能を含んで指しているような感じがします。
空くうは、実体のないものを指し、無や非存在と混同してはならないそうです。
人間には、2つ心があるそうです。人間の心(マインド)は、真偽を見分けることができないそうです。
動物脳(本能)=自我(エゴ)の特質は執着だそうです。五蘊(ごうん)は、肉体に持っている五感の機能であり、その五蘊(ごうん)に無意識に執着するような機能をもっているのが、僕ら人間だと思います。
動物脳(本能)=自我(エゴ)という”それ”を自分だと思い、同一化した時に初めて問題が生じるそうです。
人類生命学の生まれ持った真理のお話と繋げてみると、五蘊(ごうん)を使った、動物脳(本能)=自我(エゴ)の意識/無意識の感覚を自分だと思い、同一化してはじめて問題が生じます。と置き換えていいのではと思います。
五蘊(ごうん)を使った意識/無意識の感覚が実体があり、とてもリアルなのだけど、そもそも分離をしておらず、すべてのものと繋がっているということを、霊的レベルを学んでいって体験できれば、五蘊(ごうん)も、空くうであることがわかり、怖れがなくなるということではないでしょうか。
霊的レベルで何を学んだかというのは、このような実体のない話、真理・愛を思い出そうとすることも、大事な一つの要素だと思います。
「I<わたし>真実と主観性」の本で示している道は、「非二元性への献身」を表す神秘家の道です。と書かれてます。P57
形や実体がないことや非二元性、空くうを、学ぶには、「I<わたし>真実と主観性」は、稀に見る、通常の知性で把握できる神学です。この情報のみで大丈夫と言っても、過言ではないでしょう。
500ページの本の内容は、結構、膨大です。そこからの気づきは、素晴らしいものです。繰り返し繰り返し読んだり、聴いたりすることで、気づきが生まれます。
全ての人が、活用できるように、きょんきょんが朗読を進めてくれています。9月からスタートして、現在、約1/2まで来ました。感謝。
stand.fm こころの休息♡チャンネル 〈新しい方へ再生〉に設定して、順番にお聴きください。
今回が144記事目となります。12×12=144。マヤ暦KIN144は、ひさちゃんKIN117 の鏡の向こうです。数霊(かずたま)では、やまびこ144、たまげる144、でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?