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「名言との対話」10月17日。前野良沢「国が異なり言葉が違っても同じ人間だから理解出来ないことはないだろう」

前野 良沢(享保8年(1723年) - 享和3年10月17日(1803年11月30日))は、豊前国中津藩(大分県中津市)の藩医蘭学者のち江戸幕府幕臣。『解体新書』の主幹翻訳者。藩主奥平昌鹿より「蘭学の化け物」と賞賛され、これを誉とし「蘭化」と号する。

1743年(寛保2年)頃同じ藩の知人からオランダ書物の切れ端を見せられ、良沢は蘭学を志す。冒頭の言葉は、そのときのものだ。当時の外国語は宇宙人の言葉のようであったろうが、その翻訳に挑戦しようとした晩学の異才・良沢は、勇気の人であり、継続の人であった。

「解体新書」成立の過程を吉村昭らしい克明な調査で再現した労作『冬の鷹』を読んだ。主人公は豊前中津藩の藩医前野良沢。もう1人は杉田玄白。そして平賀源内と高山彦九郎が脇役として登場する。

ターヘル・アナトミア』という蘭書の翻訳という医学史上の偉業を、盟主として実現した前野良沢の名前は、『解体新書』の譯者にはない。その謎が解き明かされる伝記である。

ターヘル・アナトミア』の翻訳事業は難行だった。蘭語で書かれた文章には手も足も出ない。櫓も舵もない船で大海に乗り出したのだ。この突破口は、人体の図の中にある単語を本文の中に探して、そこから類推して意味を探るというやり方だった。そして2年の歳月を費やして翻訳は完成する。中国医学五臓六腑説を粉砕する革命的な所業だった。

源内は52歳で病死。玄白85歳での長寿での穏やかな死。良沢は81歳で娘の嫁ぎ先で死。彦九郎は追いつめられて自刃。良沢「人の死は、その人間がどのように生きたかをしめす結果だ。どのように死をむかえたかをみれば、その人間の生き方もわかる」

吉村昭の妻で同じく作家の津村節子は、吉村の死後、著書を読み始めて吉村昭という作家のファンになっている。

吉村はあとがきで、4年間の執筆準備の後、月刊エコノミストに1年7か月にわたる連載小説として書いたと記している。中津でも取材をしていて、市立小畑記念図書館や、郷土史家嶋道夫先生の名前もある。吉村昭の本は、『三陸津波』を読んだことがある。すっかりファンになった。

2018年の1月1日。NHK「風雲児たち--蘭学革命篇(らんがくれぼりゅーしょん)--『解体新書』誕生をめぐる笑いと涙の正月時代劇!」をみた。前野良沢杉田玄白の対比で『解体新書』の成立過程を描く物語。三谷幸喜脚本。前野良沢は中津藩の藩医であるので、中津でも話題になっていた。翻訳の出来にこだわる完全主義者の良沢、ある程度のレベルでも出版すべきであるとする玄白。どちらも医学の進歩のために考え抜いた上での行動である。

それぞれの性格にふさわしい人生を送ったのだということだ。かたくなに主義にこだわる良沢、たくみにプロジェクトを実現させていく10歳下の玄白、そして華やかな才能を使いつぶす源内、政権の朝廷への返上を画策する行動力を示す彦九郎。性格タイプのエニアグラムでみると、良沢は観察者、玄白は成功を目指す人、源内は冒険者とみえる。背負った性格というOS(基本ソフト)にのっとって生きているのだ。

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