「名言との対話」9月11日。末弘厳太郎「良き練習は良きコーチによってのみ行なわれ得る。しかしコーチにのみに頼って自ら工夫することなき選手は上達しない」
末弘 厳太郎(すえひろ いずたろう、1888年(明治21年)11月30日 - 1951年(昭和26年)9月11日)は、大正・昭和期の日本の法学者。
山口県出身。父は大審院判事。開成中学、一高を経て、東京帝大法科卒業時には優等で銀時計を授与された。大学院にすすみ、卒業後ただちに助教授。アメリカ留学後、帰国し1921年に教授。1942年から3年間、法学部長をつとめた。東京帝大辞職後にGHQから追放を受けた。その後、労働三法の制定に関与、また中央労働委員会の会長に就任した。
末弘源太郎は日本水泳連盟の会長、大日本体育協会理事長、大日本体育会理事長をつとめている。賞詞は、没後に勲一等瑞宝章を受章している。
まるで絵に描いたような申し分のない経歴であるから、取り上げるのに躊躇したが、水泳選手のための「練習十則」を読んで、この人物の人間味に興味を持った。
水泳選手とコーチのために「練習十則」をつくっていることに驚いた。そしてそれが実によくできているのだ。以下、記す。
第一則 先ず正しいトレーニングによって体を作れ。体を作ることを忘れて、いたずらに技巧の習得に努めても決してタイムは上がらない。
第二則 体と泳ぎを作ることを目的とする基礎学習と、レース前の調子を作ることを目的とする練習とを混同してはならぬ。レース前になって、むやみにタイムばかりを取るような練習は、最も悪い練習である。肉体的にも、精神的にもいたずらに精力を消耗するだけのことである。
第三則 むやみに力泳するよりは、水に乗る調子を体得する事が何よりも大切である。
第四則 スタートとターニングとの練習は、泳ぎそのものの練習よりも大切だと思わなければならぬ。
第五則 一つ一つのストロークを失敗しないように泳ぐことが、最も良いタイムを得る方法である。
第六則 レース前の練習に当っては毎夕毎晩、体重を測れ。もしも朝の計量において体重の回復が十分でないことを発見したならば練習の分量を減らさなければならない。
第七則 スランプは精神よりはむしろ体力の欠陥に原因していると思わねばならぬ。いたずらにあせるより、思い切って二三日練習を休む方がよろしい。
第八則 レース間際に体を休ませるつもりで力泳を控えることは非常に危険である。体を休ませるために、練習分量を減らしたければ、力泳をせしめつつ、その分量を減らすようにせねばならぬ。休ませるつもりでフラフラ泳がせると調子がくずれてしまう。
第九則 あがる癖のある選手にいくら精神訓話を与えても、何もならない。いかなる場合にも体を柔くして、水に乗って泳げるように徹底的に練習させ、癖づけてしまうことが何より大切である。
第十則 良き練習は良きコーチによってのみ行なわれ得る。しかしコーチにのみに頼って自ら工夫することなき選手は上達しない。
まず、水泳のための体力づくりと基礎学習を大事にする。タイムをあげるには、スタートとターンの練習、そして一つ一つのストロークを大事にすること。スランプは精神の問題ではなく、体力の問題。よきコーチと、それ以上に大切なのは、選手自身が自分で工夫を重ねることだ。
まとめるとこういうことになる。末弘の十則は、精神論、根性論に陥りがちなスポーツの世界に、合理的な考えを持ち込んだように感じる。水泳だけでなく、陸上、球技、格闘技などスポーツ全般に通じるだろう。今なお褪せていない。
末弘厳太郎は、民法学に判例こそが法律であるとの主張で大転回を主導した。そして日本初の労働法の講義を行った。また法社会学の基礎を築いた。こういった大学者が、水泳の練習法を定めたのである。この人は何事も、通説を信用することなく、ラジカルに、抜本的に考え直したのである。『嘘の効用』を改題し、非専門性、形式的理屈、縄張り根性という問題点を指摘した『役人三則』も読んでみたいものだ。