「名言との対話」8月18日。オノレ・ド・バルザック「熱狂できないということは、凡庸のしるしだ」
オノレ・ド・バルザック(フランス語: Honoré de Balzac 発音例, 1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、19世紀のフランスを代表する小説家。享年51。
近代小説の創始者の一人。19世紀フランス社会の風俗と典型的人間像を描いた。「ゴリオ爺さん」「谷間の百合」「従妹ベット」など、著作の大部分は、小説による社会史という巨大な構想の下に書かれ、総題を「人間喜劇」と名づけている。登場人物は数千人に及ぶ壮大な作品群である。
若い頃は作家として芽がでなかった。バルザックは鋳造、印刷、編集、批評など、全方位で起業に挑戦したが、すべて失敗している。作家としても、起業家としても失敗の連続だった。全方位で出版界の民主化へ向けて格闘した人であるともいえる。
私生活では年上の貴族階級の女性との恋愛遍歴が華やかだった。相手は公爵夫人、侯爵夫人、伯爵夫人などだった。
膨大な借金をかかえ、最後は破産してしまう。負債を返済するため、背水の陣を敷いて創作に戻った。浪費癖は治らず、この負債は最晩年に結婚したハンス夫人が自身の財産で清算している。
40歳で『ゴリオ爺さん』を4ヶ月で執筆し刊行。「この40日間、わたしは80時間は眠ってませんよ」と語っている。
41歳。初めて「人間喜劇」というシリーズの総タイトルができる。
46歳。「人間喜劇」の総目録を作成。総数は137、執筆予定は50という構想。
今回、kindleで「バルザック ゴリオじいさん中村佳子訳」「バルザック グランド・ブルてーシュ奇譚 。宮下志朗訳」(光文社古典新訳文庫)を読んでみた。
バルザックは一つひとつの個別の作品を書き、それを組み合わせていった。その方法は「人物の再登場」だった。手塚治虫はある漫画作品で脇役であったキャラクターを、別の作品では異なる名前でスターにするという「スターシステム」で、手塚ワールドを構築した。これに似ている。
「この世界には、ひとつのかたまりであるようなものは、何もないのです。そこではすべてがモザイクなのです。時系列で語れるのは、過去の「物語」だけです」これがバルザックの考えだった。
バルザックの場合、一つの石が石垣となり、やがて巨大な建築物になっていった。この「人間喜劇」は、90編近い長編・中編・短編で構成されている。ここには確固たる世界観がある。バルザックは小宇宙をつくり上げた。
三島由紀夫は「小説家とは、、、理想的には情感百パーセント、理智百パーセントほどの、普通の二倍のヴォルテージを持った人間であるべき」とし、バルザックはその一人だったと評価している。人間として超ド級の二刀流の能力を持った人が、優れた小説家になれるということだろう。
「人間喜劇」は代表作というより、全生涯を費やして構築したバルザックの宇宙であった。それは一つの巨大な作品だったのである。こういうやり方もあるのだ。バルザックを大構想家と呼びたい。
ライフワークとは一つの作品ではない。つじつまのあった作品群でもない。計画された、あるいはしだいに姿を現していった堅固な建築物であるということになる。
「熱狂できないということは、凡庸のしるしだ」とバルザックは言う。熱狂できるか。熱く狂えるか。それが天才と凡才の分かれ目で、決定的な差なのだ。
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