金曜ロードショーがあった日
その昔、テレビで映画を放映する番組があった。全部で3つ。
金曜ロードショー
ゴールデン洋画劇場
日曜洋画劇場
週3回、テレビで映画が見れるという状況は、映画館すらなかった田舎町の少年や家族には大変ありがたかった。
映画館のある街にはバスで三時間かかるし、かつて存在した街の映画館はいつのまにか消えていた。
映画は身近な存在ではなかったのだ。
だからテレビから映画が流れる日常は、より映画を身近にさせた。
少年たちはテレビ映画の影響を多いに受けた。
ある日、ある男は雨の中、プラトーンのラストシーンを演じ、またある日はグーニーズやインディジョーンズに触発され探検の旅にでた。
また、ある少年はバタリアンの恐ろしさが焼き付き夜中にトイレにいけず寝小便をしてしまった。
あるときは、オーバーザトップに触発され腕相撲が流行り、スターウォーズの翌日にはオモチャの刀で斬り合いをしていた。
そして、ジブリ映画。
封切りからだいぶ遅れて、トトロ、魔女の宅急便、思ひでぽろぽろ、火垂るの墓あたりを見て、やっと世の中に追いついたような感覚に包まれていたのだ。
今にして思えば、あのテレビ映画番組は我々のコミュニケーションの一環として機能していたような気がする。
そんなテレビ映画番組の思い出をいくつか挙げてみたい。
ホラー映画の影響
少年少女、家族のだんらんの場であるTV前。TV前の空間は、だんらんの場でもあった。この空間では、日常の様々な出来事も、TVの影響力の前に霧散してしまい、どこかのんびりとした穏やかな空気が漂っていた。
が、その空気が一気に変わるのが、ホラー映画が放映される時間だ。
前述のバタリアンなどもそうで、あれは、今でこそ、よくできたギャグ&ホラーと捉えることができるが、頭にかじりつくという捕食シーン、ドアから伸びる無数の手、そしておそらくその頃飛躍的に成長したと思われる特殊メイクに、少年少女は凍り付いたのだった。
エイリアンなどもそう。今でこそ、SFの金字塔として、この映画を楽しむことができるが、やはり当時はホラーの延長であった。お腹からエイリアンの幼虫が飛び出るシーン、捕食シーンが映し出されるということは、もはやTV前の空間がのどかな和やかな場所ではなくなったことを示唆していた。
エクソシストもそう。今でこそ、ホラー&ゴシック系の傑作として見ることができるが、どうしても、あの怪しげな祈祷、悪魔祓いが頭から離れない。少年少女も、当時からゲゲゲの鬼太郎などには親しんでいたが、そのレベルではない。その頃はすでに恐山のこともしっていたが、恐山自体は遠い異国の出来事のように思っていたから、身近なTVで繰り広げられる祈祷は、恐怖以外の何物でもなかった。
その他、13日の金曜日、ハロウィンなど、TVで放映していいのか?と思うような映画も放映されており、TV前の空間を凍り付かせていたのだった。
まあ、そうでもしないと、ホラー映画などを映画館で見ることはなかったと思うので、それはそれでよい体験だったと言えなくもないのだが。
そして、実は、さらに子供にはとっつきにくかったのが、寅さんの男はつらいよシリーズ。あれは、子供には理解は難しいのであるが、なんとなく、80年代末期の寅さんはお茶の間の人気者という位置を確立しており、なんどとなく放映されていた記憶がある。無論、少年少女が楽しめたかというと疑問ではある。今でこそ、いろんな意味を内包して、傑作と思えるのだが。
というわけで、映画というものが日常ではなかった世界に、映画を日常にさせてくれた番組は貴重なものであった。
が、レンタルビデオの伸長、衛星放送でCMのない字幕映画が多数流れるようになってからは、そちらの方を楽しんでいた記憶がある。
田舎だったから、レンタルビデオも、近所のおっちゃんが趣味でやっているようなもので、さほど本数も多くなく、やはり、衛星放送の影響が大きかった。
当時、字幕で見た映画としては、敦煌、ゴッドファーザー、ある愛の歌、愛と哀しみの果て、天使にラブソングを、明日に向かって撃て、俺たちに明日はない、いまを生きる、などといった、新旧の名作たち。
ちょうど中学にさしかかったころ、リアルな外国人俳優の声を聴くことができるのは、ある意味、英語学習が始まっていることも相まって、意味があったような気もする。
そして、この状況に押されるように、ここから10数年後の2000年代初頭、TV映画番組は静かにその役割を終えていくのだった。
その後のインターネット、スマホの世界は特に書くことはしないが、あの、TV前の空間を一家だんらんの場所に変える力のあったTV、そしてそこから流れるTV映画番組を楽しむ経験を持てたのは、僥倖だったと思うわけなのだ。