ジーパン、ジーンズとの出会いと戸惑い 〜 クラプトンの「ベルボトム・ブルース」を聴きながら
ジーパンなるものを知ったのは、いつの頃だったろうか。
小学校も高学年になると、それなりに意識的成長度合いの早い級友たちは、すでにジーパンをはいていたような気がする。
そして、リーだの、リーバイスだのビッグジョンだの、エドウィンだのといった言葉が彼らの間で飛び交うようになっていった。
クラスの中には、「そういったものに興味が無い民」と、「そういったもの(ファッションや流行)に敏感な民」が存在していて、興味が無い民にはそのカタカナは世界史で出てくる人名(カタカナ)以上の意味合いはなかった。
リーさん、ビッグなジョンさん、リーバイスさんがいて、好き勝手にジーパンなるズボンを作ったのだろう、、という稚拙な想像を創造していたのだ。あながち外れていないのが恐ろしくもあり、面白いところでもある。
そんな風にして、いつの間にか興味が無い民だった僕の脳内に「ジーパン」という単語が刷り込まれていった。
そして、次に訪れたのは「ジーパン」なのか「ジーンズ」なのかという問題だ。
当時すでに、運動会用に短パンなるものは存在していて、子供たちはこぞってそれを着用し運動に励んでいた。なので、「パン」とはズボンを指すのだとはわかっていた。つまり「ジーパン」は小学生にもとても理解しやすい単語だった。
ただ疑問が残った。
なぜ「ジー」なのかという疑問だ。
たしか当時の「敏感な民」の間では「ジーパン」を「Gパン」と書く向きもあった。ほほう、そうか。と思ったものだが、なぜ「G」なのかはあまり深く考えなかった。
ある日、その答えのようなものに思い当たった。当時、アニメでG.Iジョーというものがあった。アメリカンなソルジャーたちを描いたそのアニメーションでは、キャラクターたちが見慣れた水色のズボンをはいていた。そうか、つまり、「ジー」、「G」とは、きっとG.Iジョーの「G」なのだろうと、子供心に稚拙な想像を創造して満足していたのだった。
しかし、さらに、僕を含む興味ない民を困惑わせたのは「ジーンズ」という呼称の存在だった。興味ある民もあまり深く理解していないようだったその言葉。しばらくの間、この単語と「ジーパン」が結び付かない日々を過ごしていた。なんせ、先に刷り込まれたのは「ジーパン」の「ジー」は「G」であり、G.Iジョーだったからだ。
ただ、小学生にとっては、そんなことよりも週刊少年ジャンプの方が重大な出来事だったから、次第にそんなことは忘れていった。
そうこうしているうちに、興味ない民の家にもジーパンがやってくる時が来た。戯れに両親が買ってきたものだった。
家のソファーに置かれたそれは、意識高い系の象徴のように見え、神々しくもあり、気高くさえもあった。確か赤タグに白抜きの文字だったからEDWINだったのかもしれない。
恐る恐る足を入れる。固い。固いじゃないか。腰回りもゴムじゃないのできつい。
なんだこれは。
決して快適ではないジーパン着用初体験の思い出である。
そのとき、少年を困惑させる言葉が両親から発せられた。「はいていくうちに馴染んで柔らかくなってくる」から。そして、「洗ったら縮むからサイズが大きいのを買った」のよと。
さらに、それが良いのだと。味わいがあるのだと。
なんだこれは。
経年変化をするということか。そしてあろうことか洗濯で縮むとは。
そこで、学ぶことになったのだ。モノが変容していく過程を楽しむものがあるということを。子供にとってはモノの変容とは、食べ物が食べられなくなっていく過程のことであり、公園の土の上で酷使したラジコンが一方方向にしか曲がらなくなってしまうことであり、漫画や本の背表紙が日に焼けて次第に色あせていくことを指していた。
つまり、あるものがダメージを受けていくことと同意だったのだ。それは使えなくなること、元のデザインがおかしくなってしまうこととも同意だった。
でも、ジーパンにとっては、この経年劣化がプラスに働くというのだ。おかしなこともあるものだとおもったが、少年にとってはそんなことよりも週刊少年ジャンプの連載が気になっていたので、あっという間に記憶の片隅に追いやられたのだった。
そして、中学を迎える。新しく英語という授業が開始される。そして手元には英語の辞書がころがっているという日常が訪れた。そもそも、単語知識量0からのスタート。当時の田舎町ですら外来語が氾濫していたとはいえ、カタカナと英語で書かれた単語はなかなか一致しないものなのだった。
そんな風に、英文を見て、辞書を引くということを反復動作のように繰り返しながら、少年たちは少しずつ英語というものに親しんでいった。
ある日、それは訪れた。
教科書に「Jeans」という単語があった。当然辞書を引いた。
当時の辞書は既に存在していないため、WEB検索の結果を記しておく。
「ジーパン」を指していることは明らかだった。そして悟ったのだ。「ジー」は「G」ではなく、「G.IジョーのG」でもなく、「ジーンズ」の「ジー」だったことを。そして、流行に敏感な民が文字でジーパンを表す「Gパン」が誤っていたということを。
僕自身が「服装に興味ある民」になるのはそれから何十年も後のことになる。その間、Somethingというメーカーや、ケミカルウォッシュという呼称も登場しては消えていった。
そして、ジーパン自体のスタイルを指す501なる言葉も自分の世界に登場してきた。極め付けは「ベルボトム」。スタイル自体に名前がついていることに新鮮な驚きを禁じ得なかった。しかも「パンタロン」といった別称もあり、さらには「ラッパズボン」という蔑称にしか見えない別称も存在していることを知るに至り、驚きと困惑度はさらに増すのだった。
すでに少年は青年になっていたので、少し調べるだけで困惑は解消したのだが。ベル=金管楽器と捉えることですんなりと理解できた。「ラッパズボン」は、直訳じゃないかと。
そして青年から大人になった今、新たに「ブーツカット」や「フレア」という言葉を知り、軽くクラクラしてくるのを感じるのもよい思い出となっていくのだろう。
そんなことを思い起こしながら、エリック・クラプトンの「ベルボトム・ブルース」を聞く。
締めの一句
「ジーパンとジーンズの思い出辿り
ベルボトム・ブルース聞く」
◆追記:2023/4/27
真純さんにコメントをいただきました!
それによると、GIジョー由来説もあるようです。なるほど~
ありがとうございました。