する国語
私はかつて「する国語」を演題にして、小学校の先生がたに講演したことがあった。今から30年ほど前だったかな?
その時の聴衆の反応が良くなかったので、それに懲りて、その後このタイトルで話したり書いたりすることをしてこなかった。その後もその方向で進んできたのではあるが、「する国語」という言い方はしないできた。
そんな私が今、澤田英輔先生(が中心だと私は推測する)らの共同翻訳でアトウェルの本を読んでみて、おお!自分が唱え続けてきたことと同じ方向のことが書かれている。と、思った。その本の訳注に「doing English」という文字を見つけた。嬉しくなった。この場合の「English」は日本で言う「国語」のことだ。私が以前考えていた「する国語」に近い概念だろうと思う。もっと前に出会いたかったが、今出会えてよかったと思う。
Atwellの原著『In the Middle』の第3版(これが澤田先生らによる抄訳『イン・ザ・ミドル』の原著)と、その第2版の原著を入手したので、これからじっくり読んでいきたい。
澤田先生は、ご自分のブログで、私の近著『国語を楽しく』について、次のように書いてくれている。
「首藤久義『国語を楽しく プロジェクト・翻作・同時異学習のすすめ』を読んだ。同じ教室でもやっていることに「幅」を持たせる学習や、教育の個別化(Differentiation)に関心がある国語科教員は、もちろん読むべき本である。本書では触れられていないが、僕が中核にしているライティング・ワークショップ(作家の時間)やリーディング・ワークショップ(読書家の時間)もまた、大きくは、この「同時異学習」に属する実践といえる。従って、僕の場合は自分の授業を思い浮かべながらの読書になった。」(「あすこまっ」さんのブロブより引用)
その真意が、今、よく理解できた。ありがたい。ちなみに、「ライティング・ワークショップ」や「リーディング・ワークショップ」は、アトウェルの実践の中核をなすようである。
私は、アトウェルのことを知らないで、自分の国語教育論を展開してきた。日本でその論を展開し、実践者の先生方と具体化してきて、35年ほど前に、米国のホール・ランゲージに出会って、自分の国語教育論に近いと思って大いに共感した。その当時、アリゾナ大学に客員研究員として滞在していた桑原隆先生(当時筑波大学)の導きを得てアリゾナ大学のケネス・グッドマンのゼミを参観した。そのゼミの中で、ホールランゲージの実践者(リンダ先生)の発表を聞き、そのコーヒーブレークの時間に、日本にも同じような実践があるとリンダ先生に伝えたら、「それはニューウエイブか?」と質問された。私は「そうではない。こういう実践は日本にも昔からあり、今でもしている人がいる」というような返答をした覚えがある。
その後、私は、一層確信をもって、自分の「する国語」に相当する国語教育論を展開し、実践者と協働して具体化するとともに、ホール・ランゲージの主唱者であるケネス・グッドマンから学び続けてきた。グッドマンは私に、宇宙的とも言える巨大な視野を提供してくれた。
アトウェルについては、これまで知らなかった。今回、初めてきちんとアトウェルに向き合おうとしている。アトウェルとグッドマンは、どうも、同じ系譜に属するように思われる。これからは、アトウェルからも学びたいと思う。