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「単元学習」という言い方をやめたらどうだろう?

私はかつて、恩師倉澤栄吉先生ご壮健のころ、「『単元学習』という言い方をやめて『単元』とだけ言って効果的な単元を工夫したほうがよいのではないでしょうか。」と申し上げたことがある。その時、倉澤先生は、じっとお考えになって、「学習は大事だから、やはり『学習』という二文字はとることはできないなあ。」と、しみじみ答えてくださった。そのことを私は日本国語教育学会の機関誌『月刊国語教育研究』第520号(倉澤栄吉先生追悼号)21頁に書いた。

「単元学習」についての私なりの簡潔な定義は作り上げていて、「単元学習」について求められて書くときや話すときは、「単元学習」という用語を使ってきたが、自分から人に話すときや書くときは、「単元」という言葉で通してきた。

そして、大村はま先生のご実践に学ぶことが趣旨の大会の講演の中で、「私は『単元学習』という言い方には賛成ではない」と言ってしまった。そして、「求めに応じて書くときは『単元学習』と言うけれど、自分から言うときや書くときには『単元』という言葉を使ってきたし、今も使っている」という趣旨のことを言ってしまった。

このことは、今回の講演では言わないほうがよいと判断して、言わないことにしていたのに、講演の流れの中で言ってしまった。

国語の「単元学習」と言えば大村先生、と言われるほどの大村はま先生を記念する研究会の年次大会での講演だったのに・・・。本音が出てしまったのだ。

私は、効果的な単元を工夫するうえで、キルパトリックが提唱したプロジェクトの4分類が役立つ、と考えている。その目で見ると、大村はま先生が工夫されて実践なさった単元は、キルパトリックが提唱した4分類、および、それを参考にして私が提唱した6分類の全体を網羅しているのである。そして素晴らしいのである。私は、大村単元学習は、見事なプロジェクト単元であると受け止めている。

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