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2015年1月のHbA1cは16だった

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2023年2月現在ぼくが毎月通院しているクリニックは糖尿病内科と心療内科の二つ。このほか毎月ではないけれど定期的に行っているのが歯科、眼科、皮膚科で、これら三つはいずれも疾病治療というよりレギュラー・メンテナンスが主目的。

毎食後薬を飲む生活は、もうずっと30年以上続いていてすっかり慣れっこ。外国旅行しても飲まないことなんて一日もないですから。きっかけは28歳のときに渋谷へ向かう朝の井の頭線のなかで突然パニック障害を発症したこと。あのときはあせった。以前一度くわしく書きましたね。

といっても当時これがパニック障害というもんだとは気づいておらず(このことばも一般的ではなかったはず)、しばらく様子を見て、毎朝のことになったのでこれはおかしいとなって、地元松山で心療内科を開業している伯父に電話で相談し、ぼくの症状にあったクリニックを東京で紹介してもらいました。伯父は長年東京で勤務医でしたから。

結局これが寛解したと自覚できるようになるのに2015年(53歳)ごろまでかかったんですが(原因はどうも仕事のストレスらしい、そんな鬱積していると気づいていなかったけど、むしろ楽しかった)、それと相前後して深刻な糖尿病だと判明したのは皮肉でしたね。

それ以前からHbA1cが高めであるという指摘は受けていて、治療を必要とするほどではないにせよ「患者はまあだいたいこのへんの数値を目標に下げてくるもんだから」という言われかたでしたから。だから高めなんだろうなとわかっていました。

深刻化していることに最初に気づいたのは、大州で毎月通っていた心療内科医です。2014年の12月に「戸嶋さん、最近ごはん食べてないのか、あきらかに痩せてきているけど」と言われ、「いやいや食欲旺盛です、食べても食べても体重が減って」→「それなら糖尿病の疑いがあるから一度くわしく検査してみたほうがいいよ」ということで、大州で設備の整った総合病院へ紹介状を書いていただきました。

それで翌年1月に調べてみたら、診察した消化器内科医の顔色が、もう見るなりめっちゃきびしくて、A1cが16だったので(正常値の上限は6.2)「こんなひどい数字は見たことがない、このまま即入院してください」とのおことばでした。

いきなり入院はちょっとキツいのでさすがに断って(えっ)、内服薬と、あとは食事や運動など日常生活の見なおしを努力することにして、その日は帰宅しました。

それ以後ですよ、ぼくの健康に対する意識が激変したのは。

料理がむかしから好きでしたけど、メニューの改善にかなり気を遣うようになりましたし、2020年に松山に帰ってきて転院し高血圧の治療もはじめてからは塩分も極薄になりました。それがまたおいしいんですよね、薄味料理。淡白であっさりしたものを好むようになりましたし(音楽も)、一般的にもいい料理でしょう、素材を活かした上品さっていうのは。

大洲時代にA1cの値もどんどん改善し、最初それが16でひっくり返っていた医師も、一年ほどで5台の後半ぐらいまで下がってきているのを見て安心していました。最初は「通院治療ではむずかしいと思う」と言っていたくらいだったのにねえ。

日々の運動(といってもお散歩ですけど)を欠かさなくなりましたし、適度なお散歩で糖尿病や高血圧症のみならずさまざまな疾病対策になり、高齢化による筋力体力の低下防止にもなるし、それからやってみて知ったことですがお散歩でなぜかメンタルがとっても改善するんですよね。心地いい、楽しい気分になります、運動が適度なら。

食事や運動だけでなく、日々の生活の細かな部分にまでデリケートに配慮するようになり、ひいてはメンタル面ふくめ人生が快適でていねいになって、不思議と楽しく充実しているという実感があります。

すべてのきっかけは糖尿病が深刻に悪化しているのが判明してあわてたこと。痛いとかつらいとかいうような自覚症状のない病気なので、まずビックリしたのは医者の側でしたけど、それきっかけで健康意識が芽生え定着し、生活改善につながって現在まで来ています。

まさに一病息災。これを地で行くのがここ10年ほどのぼくの人生です。この四文字熟語の意味が痛いほど骨身に沁みるようになりました。無病息災がベストかもしれませんが、大きな一病あらばこそ健康を大切にするように生活意識が変わると思います。

(written 2023.2.8)

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