女ことば男ことばという幻想
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「〜〜だわ」「〜〜のよ」など、翻訳小説や映画字幕 or 吹き替え、あるいは外国人音楽家のインタヴュー邦訳なんかでも頻出する言いまわし。女ことばとされるものですが、現実には「そんなふうに話すひとって、ほんとうにいる?」という違和感をいだきます。
実際にはどこにもいないだろうという気がするので、いったいいつごろどこからこんなことばづかいが誕生して定着したのか?いまだに各種邦訳であまりに頻出するのはなぜなのか?ちょっと不思議に思えるんです。
「〜〜だぜ」系の男ことば(も日常で使っている男性はあまりいないはず)もふくめ、こういったことばづかいにおける “女らしさ・男らしさ” といったものは、実は社会が勝手に押し付けているだけのジェンダー・ステレオタイプであるに過ぎず、それゆえ一方的な性偏見に結びついているんじゃないかというのが、いまのぼくの見方です。
この手のことは、このブログでも以前ちらっと軽く触れたことがあります。
60年の個人的な人生のなかでも、たしかにこんな「〜〜だわ」「〜〜のよ」なんていうしゃべりかたをする女性に会ったことがないですが、たった一人だけいるにはいました。以前LINEや電話でよくしゃべっていた茨城県在住50代女性。名をいま仮に晴美さんとしてみます。
晴美さんが、上記のような典型的な女ことばを電話でもLINEでも頻用していたのは、彼女自身が男女別のステレオタイプなジェンダー偏見にとらわれていたからだと思いますが、その理由のひとつに性風俗産業で働いていたからというのもあったんじゃないかと推測しています。
いはゆるデリバリー・ヘルスで長年仕事をしていたらしいんですが(ぼくがおしゃべりしていた時期には引退し茨城にあるJAの直売所で働いていた)、女性であるということを強く意識する、女性ならでは、女性らしい(ってなに?)ありかた、ふるまいをふだんから心がけていたんじゃないかという印象を、ぼくは抱いていました。
それは彼女が生まれ持った、あるいは生育歴から、そうなったとか、もとから社会におけるそういうジェンダー・ステレオタイプにとらわれてきた存在だったという面もあったかもしれませんが、デリヘル嬢として働く上で自然と身につけた処世術でもあったんじゃないかと思うんですよね。
でも、デリヘルとかの性風俗産業をちょくちょく利用していたぼくでも、晴美さんほど露骨な “女ことば” を連発する女性はほかにいませんでしたからね。仕事柄というよりも最初から彼女はそういう発想の女性だったのかもしれません。セックス関係などの話題、下ネタなどを遠慮なく話せる貴重な女性しゃべり相手ではあったのですが。
考えてみれば最近のぼくは、しゃべりかただけじゃなく一般的に、社会が勝手に押し付けてきた「男らしさ」「女らしさ」といったジェンダー・ステレオタイプを極端に嫌うようになっています。いはゆる男らしさの乏しい人間で、どっちかというとヤサ男、それでなかなか生きにくい人生を送ってきたから、というのが根底にあるかもしれません。
それがあった上で、近年のジェンダー意識のたかまりのなかで、主に女性やセクシャル・マイノリティやアライが発信している一個一個の発言や記事を読むと、そりゃあそうだよ!と心底納得・共感できるものが多いので、2019年ごろから徐々にぼくもその種の問題意識を強く持つようになって、現在まできました。
ことばの問題は人間存在の根源にかかわることですから、当然鋭敏になるでしょう。なので、ジェンダー意識がぼくのなかでたかまってくるにつけ、女ことば・男ことばといったステレオタイプというか、はっきり言って偏見だと思いますが、おかしいぞと考えるようになったんでしょうね。
しかしジェンダー論なんかをふだんまったく意識もしていない(性別にかかわらず)一般のみなさんだって、上であげたような「〜〜だわ」「〜〜のよ」「〜〜だぜ」みたいな典型的な男女別のことばづかいはふだんしていません。翻訳関係など特殊な場面にしか存在しない役割語でしかないのに、いや、だからこそなのか、そこに女らしさ/男らしさを感じとるというのはどうなんですか。現実にはことばの性差なんてほとんどありませんよね。
ことばの問題だけでなく、またジェンダー関係のことがらだけでもなく、ステレオタイプというものは差別や偏見やハラスメントを助長・補強して正当化してきたという歴史があります。もはやいまではそんなことに無意識裡にであれ加担したりする個人的にとてもしんどくつらいので、ぼくはもうやめました。
(written 2021.11.19)
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