今日は、熱かったはなし(11-6)
立春までの毎日投稿チャレンジ6日目。
いよいよ後半です。
昨日は、区立図書館での話でした。
今日は、国立図書館での話をしようかと。
と、そのまえにちょっとこわい?話から。
短大時代に始めたAT(喫茶店)のバイト
数年後の卒業は店舗自体の撤退により。
その後、渋谷にある店へバイトながら移動も
そこも(わたしがやめたあと)撤退に。
卒業した短大はわたしたちが最後の卒業生で
(4年制大学のみとなりました)
その後卒業した専門の、
在籍した文化課程も確かまったく同じ展開。
在学時代の活動から2002年に出版した
最初の本の版元は、刊行直後に倒産。
(わたしはラジオでそのニュースを知った)
と、こんな流れが続いていたので
実姉に「あんたって……」と、
やや、恐れられたことがありました。
さて。
専門学校では時々、取材という名目で
先生引率で外出することがあり
2000年の部分開館時、上野の
国際子ども図書館に見学へ行きました。
記憶があやふやですが、
その数か月後にはここで非常勤職員とし
4年弱のあいだ勤めることになりました。
それを知った姉は、
「国立だからさすがに(無くならない)」と
面白がって言っていて
もちろんその通り、といいますか
ともかく2002年の全面開館も
スタッフとして立ち会うことができたのは
とてもいい思い出です。
部分~全面開館の直前、
一般に開かれない閉館期間があったので
そういう準備期間というのは
やっぱりおもしろかったのです。
話しはもどるようだけど、
高校を卒業し、短大2年+専門2年と、
大学4年間というつもりで
進学させてもらって、いよいよ卒業のとき
わたしは、この先どうやって
書き続けるかということが
言ってみればいちばんの不安でした。
それで、絵本に囲まれていたら
意識を持っていられるだろうと考えたのは
我ながら感心します。
カウンター業務をしながら
書き物もできるかも、という下心とか
いろいろと若気の至りも山ほどあるけど
最初、アポなしで電話をして、
バイト募集していないかどうか聞き
履歴書を送ったりしたことは
見上げた情熱だなぁ。
実際、いろいろ過渡期だったこともあり
すぐに人員が必要になり、
採用していただけたことも
ほんとうにラッキーでした。
もうこれだけで、身の内が焦げそう。
あちち。
でもわたしの熱さからの行動は
それだけじゃありませんでした。
たとえば館長以下職員の面々そろう飲み会で、
わたしったら
「絵本作家になって、
かならずここに戻ってきます」
と宣言したり…
いやいや、実のところ
国際アンデルセン賞の展覧会をしたときで
「わたしもこの賞をとって展示されてみせる」
と言ったことを白状して
その2に続く。
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