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【五十四日目】表現するということ
いつの時代も、人間の大事な能力の一つには「表現力」があった。
普段の生活を送る上での表現、絶対必要とされる表現については私たちは物心ついたころからやっている。
一方で、「小説を書く」「歌を歌う」「演劇をする」といった表現は、社会に不可欠であることは間違いないが、人間の根源的・生理的には優先順位が低い表現だといえるだろう。
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「昇華」という行動区分がある。
私たち世代だと、保健体育の教科書で目にしたことがある人がかなりいるだろう。
抑え込まれた欲求(特に性的欲求)を別の行動のエネルギーとして使うというものだ。
ここでの「別の行動」が先ほど述べたような「小説」「歌」「絵画」「演劇」といった表現。
こうして毎日執筆しているのも、ある意味「昇華」なのかも。なんてことを思ったりもする。
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話は飛ぶが、古代の人々の想像力には目を見張るものがある。
世界各国に伝えられる神話や詩歌、様々な物語には私たち先祖の壮大な想像力が秘められている。
今ほど自然科学が発達していなかった時代だとか、不便な時代だとか言われるが、古代ほど想像力、その想像を形にする表現力に優れた時代はなかなかないだろう。
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ググればだいたいのことがわかってしまう時代に生きることは、便利だけど少し物悲しい。
LINEは便利だけど、やっぱり直接会って話をしたい。
昨日の話を、次の日の学校で話すまで忘れないでいたい。
大切な「表現力」を私たち自身が手放し始めている。
言葉や絵を介さないと表現はほぼできないけれど、媒介物が便利すぎる必要はない。
できることならやっぱり限りなく純度の高い言葉自体だけで表現していたい。
表現することは、難しい。
2021/2/26/17:29 ヒサノエイ