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【密教】三密の瑜伽行

日常の自己意識の中に、本来具わる宇宙規模の自己意識を見出す…インドでは古代より本来の自己を顕現するための有効な方法としてヨーガがありました。瞑想を通じて絶対者(宇宙規模の自己意識)と合一し、自らの中にそれを見出すことで、輪廻の苦悩から解脱するというものです。

ヨーガの起源はかなり古く、紀元前二千年より前にインダス河流域に栄えたモヘンジョダロの遺跡からヨーガポーズをした修行者の像を刻んだ印章が発見されていると言われています。仏教も原始仏教時代から既に取り入れられています。

衆生は皆、仏性を自らの内に秘めているものの、潜在煩悩の暗雲に覆われて自覚することができない…密教では自らの仏性に気付いて見出すための修行法として、「三密の行」が説かれます。三密とは身業・口業・意業の三業と同じです(密閉・密集・密接の三密対策ではないです.笑)。手に印契(形として宇宙の真理を集約したもの)を結び、口に真言・陀羅尼(宇宙の音を集約したもの)を唱え、心を三昧の境地に入らせて大日如来の象徴を観想すること(観法)を「三密の一体化した瑜伽行」といいます。

さて、真言や陀羅尼は明確な意味が把握しきれない音の連続であり、即ちある意味、呪文のようなものと言えます。かつての日本にも言霊信仰があったように、音や言葉はそれ自体に不思議な力が備わっているという信仰は東洋・西洋に関わらず古くから存在していました。古代インドにおいても、真実の言葉は魔を寄せ付けない力があり、幸運をもたらすと信じられていました。

バラモン教(ヒンドゥー教)でも古代インドの伝統に沿って様々な印契や真言・陀羅尼が生み出されており、密教もこの伝統を継承しています。三密の一体化した瑜伽行によって、観想する大日如来と一体化することで、修行者は現世において覚りを得て仏陀となる即身成仏です。

この密教の即身成仏には、三種の力が働く必要があるとします。修行者の観法による功徳力、如来から差し出される救済力、宇宙万物に宿る生命力、これら三種の力の総合上に成り立ちます。ただし、ウパニシャッドやヴェーダの秘技伝授と同じく、密教のヨーガの観法も自らの修行が必要なことは勿論ですが、師匠(アーチャーリヤ︰阿闍梨耶)から、その方法が直接伝授されなければならなかったのです。一方、阿闍梨耶は自らが継承した密教修行を自己のみで終わらせることは許されず、自身が引き継いだ観法に対する素質をもつ人材を積極的に探し、自分の弟子として伝授を行う義務が課せられていたとされています。